唐池恒二×水戸岡鋭治 ななつ星in九州を生み出した「自分マーケティング」
2016年12月14日 公開 2024年12月16日 更新
写真左・水戸岡鋭治氏、右・唐池恒二氏
(撮影:河本純一)
世を風靡するヒットを数々生み出した異才対談
鉄道会社にありながら、船舶事業の任を担ったビジネスマン。頭の中に多彩なデザインプランを詰め込んだイラストレーターにして駆け出しのデザイナー。分野も性格も全く異なる2人の出会いは、今から27年前に遡る。以来、互いの持ち味を活かし、列車はもちろん、船、ホテル、駅、まちづくりと、多岐にわたってヒットを次々と生み出してきた。日本初の豪華列車「ななつ星in九州」も、その傑作の1つである。絶妙なコンビネーションを見せる唐池氏と水戸岡氏は、いかなる流儀で世を風靡してきたのか。意外なことに「メディア上では初めての対談」という両氏が、互いの「自分流」をシンクロさせる。
(取材・構成:染川宣大)
培った知識と経験でプロと対峙する
水戸岡 「ななつ星」の時は、唐池さんに信頼いただいていることを特に実感しました。締切のギリギリまでデザインに悩んでいましたから、なんとなくこういう感じです、というものですら全くお見せできなかった。もしも「どういうふうになるの?」「どうなってるの?」と中途で突っ込まれたり、あるいはほかの組織と同じように「重役の前で説明してください」なんて注文されていたりしたら、私はあの仕事をやり遂げることはできなかったと思います。
唐池 あの時は運行開始1年前に車両の大まかなデザインを見せられて、その後は3枚の絵が来ただけでしたね。結局、私が車内の全貌をこの目で確認したのは、メディア発表の1日前でした。職人たちも全貌は知ることなく、それぞれの持ち場の製作を進めていたので、完成するまで、全体のイメージは水戸岡さんの頭の中にしかありませんでした。
水戸岡 それが実は、私にもわからないところがありました。職人たちはその日の仕事が終わると厳重に養生をしてしまうから、すべて見ることができなかったのです。
だから、私も唐池さんと同じくメディア発表の一日前に初めて目(ま)の当たりにしたところがあったわけです。「おぉ、こんな感じになったのか」と(笑)。
唐池 いやいや、そうは言いながらも、水戸岡さんは職人さんとその仕事のことを熟知していたのです。新しい列車運行にかかわるあらゆる分野の皆さんと、同じレベルか、あるいはそれ以上の知識と語彙でもって、打ち合わせをされている姿を何度も目の当たりにしてきました。
水戸岡 それはどんなデザインの仕事をする上でも大事なことですね。例えば、制服のデザインをするなら、織物の素材、染色、織り方、文様など全般にわたる知識が必要になります。私は昔から石津謙介さんのつくったブランド「VAN」や雑誌『メンズクラブ』の大ファンでしたから、そこから入って織物全般の知識を身につけました。
ほかの分野においても同様で、子供の頃から培い、さらに大人になって積み上げた知識と経験を総動員して、プロと相対するわけです。私のような幅広いジャンルを手がけるデザイナーは、時として個人的な経験値や育んだ作法で、プロすら倒さなくてはならない場面が折々で訪れるものです。