トランプが大統領になっても日本は日本だ
2016年12月30日 公開 2022年10月13日 更新
日本のための憲法改正論議を!
米国の次期大統領に共和党のドナルド・トランプ氏が選ばれた。当初は泡沫候補扱いだったが、大方の予想を裏切って民主党のヒラリー・クリントン氏に圧勝した。政治経験ゼロ。
暴言放言が多く、「支配層とつるむ不誠実な奴ら」と平気でメディアを敵に回す。父親の不動産会社を継いだ根っからのビジネスマンで、「儲かるか、儲からないか」が座標軸の、打算主義者だといわれる。
米国のメディアも日本のメディアも「トランプ大統領」を予測できなかった。当選の一報に日本の新聞は「驚きを禁じ得ない」「戦後の国際秩序を揺るがす激震」「怒濤のような進撃」などと書いた。日本の外務省も同様で、「クリントン大統領」を前提に、平成28年9月に安倍首相とクリントン氏の会談をセットした。
私は、トランプ氏が大統領になったことを驚かない。
トランプ氏は選挙戦中に何と語っていたか。
「メキシコは、ベストでない人々、問題があり、麻薬や犯罪を持ちこむ人々を送り込んでくる。彼らは強姦魔だ。なかには善良な人もいるかもしれないが、メキシコとの国境に壁を築き、その費用はメキシコに払わせる」
「イスラム教徒を入国禁止にする」
日米関係や東アジアの安全保障についても“暴言”は続いた。
「日本は自国を攻撃されれば米国に防衛してもらうのに、米国が攻撃されても何もしないというのでは不公平だ」
「日本を含むアジア太平洋地域に米軍が駐留することに利益があるとは思わない。米国はかつてと立場が違う。以前は非常に強力で豊かだったが、いまは貧しい国になってしまった」
「日本や韓国に駐留する米軍の経費については、日韓がそれぞれ全額負担すべきだ。もし払わないなら米軍は撤退すべきだ」
「日本は北朝鮮による核の脅威から自力で身を守るために核武装をすべきだ」
こんな発言を繰り返す人物が大統領になるとは……と驚くには当たらない。そもそも誰が米国の大統領になろうと、日本は日本である。またトランプ氏の事実誤認に対しては、「間違っている」と言えばよい。日本には戦略的思考が必要だと主張する人は多いが、それは「誰に寄り添えばよいか」を考えるのではなく、「相手を自らの望むところに誘導すること」である。
日本がトランプ米大統領を、日本が望むところに誘導すればよい。トランプ氏の根っこがビジネスマンならば、それは可能である。もともとは民主党に近かったトランプ氏が共和党から出馬したのは、「勝てそうだったから」で、氏のビジネス哲学は「多くの選択肢を持つ」ことだという。ならば、選択肢の幅を日本が広げてやればよい。
トランプ氏の「安保タダ乗り論」の日本批判は、米国自身の世界戦略のなかで、いかに日米安保が重要であるかがわかっていないからである。これまでは関心がなかったのだと思う。大統領としてビジネスの視点から再考すれば、「意外にリーズナブルだ」と改める。それでももっと負担しろというのなら、日本は自前で国防の充実を図ればよい。その選択肢はこちらにある。
かつてドゴールは、「同盟国とは、助けに来ることがあり得ても、決して運命をともにしない国である」と語った。トランプ氏が「米国を再び偉大にする」というなら、日本も米国に依存しない「偉大な国」をめざせばよい。運命はともにしない。それこそが独立国である。
安倍政権になって、日本では憲法改正論議が本格化している。これも日本のための議論でなければならない。現行憲法を押しつけたマッカーサーの発言の変遷を振り返ってみる。
マッカーサーは昭和21年(1946年)3月6日に、こう語った。
「この保障と制約(筆者注:第九条の不戦条項、戦力不保持条項、交戦権不行使条項のこと)によって、日本は本来その主権に固有の諸権利を放棄し、その将来における安全と存続自体を、世界の平和愛好諸国民の誠意と公正にゆだねたのである」
昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が始まると、こう変わる。
「日本の憲法は、国政の手段としての戦争を放棄している。この概念は、近代の世界が知るにいたった最高の理想ではないにしても、最高の理想のひとつを代表している。(略)諸君がみずからに課したこの制約は、迫りきたる数々の嵐の脅威にもかかわらず、国家安全保障の問題に関して、諸君の思考と行動を厳密に律してきた。しかしながら、かりに国際社会の無法状態が、平和を脅かし人々の生命に支配を及ぼそうとし続けるならば、この理想があまりにも当然な自己保存の法則に道を譲らなければならぬことはいうまでもない。そして国際連合の原則の枠内で他の自由愛好諸国と協力しつつ、力を撃退するために力を結集することこそが、諸君の責務となるのである」(昭和26年〈1951年〉元日のメッセージ)
これによって日本は警察予備隊、自衛隊と、事実上、再軍備に踏み出した。マッカーサーの発言の変化は、現行憲法が当時の米国の都合(日本弱体化)による欺瞞の産物であったことを示す。ソ連や中国の共産主義の脅威に対し、日本の弱体化は米国にとってマイナスとなる。そこで日本に再軍備を促した。日本はそれを受け容れ、以後、米国に寄り添うことが習い性になった。
ここで挿話をひとつ。
昭和61年(1986年)、対米貿易で大幅黒字を計上していた日本に米国が圧力をかけてきた。それを受け、米国が要求する内需拡大や市場開放、金融自由化を進めようという報告書「国際協調のための経済構造調整研究会の報告書」が出された。研究会の座長を務めた前川春雄日銀総裁の名をとって「前川リポート」と呼ばれる。
私は、かつて前川氏に「リポートのご自慢とするところは何ですか」と訊いたことがある。答えは「最初にみなを集めて『英語にならない日本語を使うな』と言った。だから、できあがったリポートは外国人が『よくわかる』と言ってくれた」。要するに「国際的に通じるのが前川リポートである」というのが彼の一番の自慢だった。米国に寄り添うアイデアを出すことが自慢話になる時代だった。
さて、こんな時代は終わりを告げている。「新しい日本人」による「新しい日本」が始まっている。「新しい日本人」とは、こんな人たちである。
1、歴史伝統の連続性を尊ぶ
2、学校秀才ではない
3、優位戦思考を持っている
4、先入観、固定観念に囚われない
5、物事をストーリーとして表現できる
6、一所懸命に働く
「トランプなんて怖くない」と考える、世界が待ち望む「新しい日本人」の出動である。