まったく悪意なく部下をつぶす「クラッシャー上司」の実態
2017年01月28日 公開 2022年06月02日 更新
身体が動かない
Fの体重は2週間で4キロ減少。深夜3時頃に帰宅して、風呂に入る気力もなくそのままベッドに倒れ、3時間弱うとうとしては、朝にシャワーを浴び、なんとか化粧をして、会社に駆けつける生活だったという。
そして、再度のプレゼンの日が来た。
クライアントは、設計案の方向性を認めた上で、数多くのやり直し部分を指摘した。納期に関してはクライアント側から変更を提案してきたが、Fは「納期は変えず、絶対に仕上げます」と宣言。引き続き、徹夜の日々となった。
その一週間後、設計部門の職場からFの姿が消えた。
朝、定刻を過ぎても出社しない。昼を過ぎても連絡すらない。課長のAが電話をしても、留守電の自動音声が流れるのみ。夕方近くになってようやく本人から電話があり、「体調不良のため行けそうにないが、家で仕事をしている。明日は行く」との旨。
しかし、Fは翌日以降も出社できなかった。電話連絡すらない状態が二週間続き、結局、設計業務は上司のAが行い、当月末の納期に間に合わせた。クライアントのOKが出て、一段落した後、Aが総務にFの状況を説明した。
総務担当の女性がFのアパートを訪問。中にいるようだが、応答がない。数時間おいてインターホンを鳴らしたところ、Fが戸口に出てきた。
見るからに憔悴していた。化粧っ気がないどころか、髪はフケだらけ、表情がなく、目もうつろだった。
まずいと思った総務担当が、Fを説得、当日中に精神科産業医との面談をアレンジした。
「会社には行きたくない」とFが拒むので、産業医は自宅近くの喫茶店に出向き、面談を実施した。Fは、うつむいて「申し訳ない、申し訳ない」と涙を流しながら繰り返すばかりだった。産業医が支持的に受け止めていると徐々に話をし始めた。
「すべて私の力のなさです」
「会社に行こうと思って朝起きるけれど、身体が動きません」
「シャワーを浴びる気力もなく、食事も喉を通らないんです」
「毎朝、ベッドに座ったまま、ぼーっとしていて、気づくと夕方になっています」
そんなFを、産業医は「うつ状態」と診断。近隣の精神科クリニックを紹介し、一カ月の自宅療養を勧めた。その旨を総務担当が、上司Aに報告した。
報告を受けたAは、こう言ったそうだ。
「期待して仕事を任せたのに、やっぱり最近の若いのはダメだなあ」
「うちには戻さなくていいから、他のできるヤツを回すよう部長に言ってよ」
「さあ次だ! 次だ!」
Fのメンタル不全について、Aはまるで意に介していないようだった。
悪意はないが、鈍感
さて、この事例の問題の本質は何か。もちろん、仕事の過重性がFのメンタル不全の原因なのだが、そこまで彼女を追い詰めてしまったのは上司Aのマネジメント能力不足である。
Aは、悪意を持ったクラッシャーではない。やる気のある優秀な部下の成長を期待して、仕事を任せ、その支援にも熱心だ。クライアントの理不尽な要求に負けまいと頑張る部下の残業に自分もつき合い、叱咤激励している。
しかし、そうされる側の部下が、どれだけ辛い思いでいるか、その部分の共感性がかなり低いのだ。言い換えれば、他者の痛みに鈍感なのである。なぜ鈍感なのか。それは、自分のやり方は正しく、こうして部下を鍛えている自分の言動は善である、という確信に揺らぎがないためである。
そう、Aは、鈍感でマネジメントが下手なのだ。優秀な部下に大きな仕事の裁量を与えたところまではいいのだが、その結果、部下の時間的裁量を奪ってしまった。つきっきりの支援で、食事の自由も、トイレに行く自由までも奪い取ってしまう。そんな環境下に置かれた部下のストレスは、当然、相当なものなのだが、そこに気づいていない。
食欲の落ちた部下に、「無理してでも食わないと持たないぞ」と言ったのはAの善意だ。
無理してでもトンカツを食べ、エネルギーを充塡して、難局を乗り切る。A自身、若い時分にそうして仕事を覚えていったのだろう。
そういう成功体験があるから、メンタル不全で自宅療養となったFに対して、「やっぱり最近の若いのはダメだなあ」と言ってしまう。実に残酷なもの言いなのだが、Aに良心の呵責はまったくない。さほどに成功体験に根ざした鈍感性が強いのである。