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直木賞候補作『火定』~時は天平、天然痘流行を食い止める医師たちを描く歴史小説

澤田瞳子

2017年12月20日 公開 2024年12月16日 更新

著者インタビュー「善悪入り混じった複雑さをもった「人間」を描いていきたい」


 

澤田瞳子・さわだとうこ
1977年、京都府生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程前期修了。2010年、『孤鷹の天』で小説家デビュー。2011年、同作で第17回中山義秀文学賞を最年少受賞。2012年、『満つる月の如し 仏師・定朝』で第2回本屋が選ぶ時代小説大賞、2013年、第32回新田次郎文学賞受賞。2016年、『若冲』で第9回親鸞賞受賞。

取材・文=社納葉子
写真撮影=香西ジュン

 

いざという時の人間の行動を描く

――今回、直木賞候補作となった『火定(かじょう)』は、奈良時代の天平9年(737年)、平城京で天然痘のパンデミックが起こり、時の権力者である藤原四兄弟までもが罹患して亡くなるという大事件を扱っていますが、この事件を選んだ理由を教えてください。

澤田 天平9年の疫病の大流行は、政治的クライシスを引き起こした大事件でした。なのに、日本史のなかではほとんど注目されていません。時の権力者だった藤原四兄弟が亡くなり、それによって聖武天皇の親政や大仏建立などがなされ、さらにその揺り返しとして、藤原家が権力を取り戻すという歴史が大きく動くきっかけとなる出来事であるにもかかわらずです。
だからこそ、この事件を取り上げてみたいとデビュー当時から考えていました。

――『火定』というタイトルは耳慣れない言葉ですが、インパクトがあります。

澤田 修行者が自ら火中に身を投じて、無我の境地に入るという意味ですね。普段はタイトルをつけるのが苦手なんですけど、今回はこの言葉が飛び込んでくる感じでした。

――どんな物語にしたいという思いがあったのでしょうか?  

澤田 私は基本的に、完璧な人間はいないと考えています。歴史上で偉大とされている人でも「ほんとかな?」とひねた目で見てしまうことも……。
だから今回の『火定』にも、完璧なキャラクターは出てきません。ごく普通の人々がパンデミックという状況下で何を思い、どういう行動をするのかを描きたいと思いました。
物語の舞台は、一般市民に治療や投薬を施す施薬院という、いわば病院です。けれどパンデミックがひとたび起きれば、助けたくても助けられないどころか、見殺しにしなければいけない事態も起きてくるわけです。
そうした極限の状況で、最後まで病人に寄り添い、ともに死ぬ覚悟をする人がいる一方で、ギリギリのところで逃げ出す人もいる。賞賛されるのは、見捨てない人でしょう。けれど私が「そうだよね」と共感するのは、最後の最後に逃げ出してしまう人です。それが普通の人間の反応だと思うんですよね。頭で考えたうえでの行動ではなく、生命体の反応として命の危機から逃げる。人間って、そういうものではないでしょうか。  
 

現在の社会にも通じるリアリティ

――登場人物は皆、各場面で様々な“顔”を見せてくれます。最初に設定が決まったのは、どの人物でしたか?  

澤田 施薬院で働く町医者という設定の綱手でしょうか。やはり施薬院の人々が中心ですね。資料そのものが非常に少ないので、実際に施薬院や悲田院がどんな機能をもっていたのか、官(役所)がどのような対策をとっていたのかなどはわかりません。私にしては珍しく、8割方、想像で描いた作品です。だから「天平9年天然痘大流行」という歴史的事実を知らなくても、読んでいただける作品になったかと思います。  
本書の少し前に発刊された『腐れ梅』という作品は、個人がやみくもに動いているなかに、自然と歴史的事象がにじみ出るという仕掛けになっていました。逆に『火定』は、歴史的事象に鑑みながら、突き詰めていくと一人ひとりの人間の姿を描くという形に落ち着きました。意図したわけではないのですが、物語のベクトルが正反対の作品になったのは、我ながらよかったなと思います。  

――収まる気配のない天然痘に人々がパニック状態になり、新興宗教に走ったり暴動を起こしたりする描写はとてもリアリティがありますし、現在の社会にも通じると思いました。  

澤田 おそらく古今東西、人間がもっている性質ではないかと。人は辛いことがあった時に、何かに頼ることで救われようとするのは、今も同じでしょう。また、実際に起きた事件と自分が関係なくても、日々の不満などをそこにぶつけて憂さを晴らすといったことは、現代でもよくあります。ネットでの炎上などはまさにその典型ですよね。『火定』という作品でいえば、役所が何もしてくれない、薬もないとなってくると、明らかにいかがわしい新興宗教にも頼りたくなるし、噴き出し口が欲しくなってしまうんですよね。
 

それでも人生は続いていく

――読者に伝えたかった思いを教えてください。  

澤田 人生って、そんなに簡単なものではありません。病気は「薬ができた、バンザイ!」で終わりじゃない。そして人間も、100%善の人もいないし、100%悪の人もいません。善悪はっきり書いた方がわかりやすくはあると思いますが、善悪入り混じった複雑さをもっているのが人間なんです。どんなに辛く困難なことがあったとしても、それでも人生は続いていく。そんなことを感じ取ってもらえれば。
考えてみると、そういう作品が自著に増えてきましたね。私自身、年を重ねるにつれて「ああ、難しいな」と思う場面によく遭遇します。たとえば悪いことをした人を許すのも人間ですが、それを裏切ってまた悪いことをするのも人間。悪いことをしました、許しました、めでたしめでたし――ということは、人生においてそうあることではありません。
そういう意味では、『火定』はオチのない物語です。最後に一致団結して「エイエイオー!」とはならない。天然痘の流行もまだ終わっていません。私自身は、この物語の後に登場人物の一人は亡くなってしまうのではと踏んでいるのですが、読者のみなさんはどう思われるでしょうか。登場人物たちのその後も含めて、読者に委ねたいと思います。  

――澤田さんにとって、この作品はどんな位置付けなのでしょうか。  

澤田 実は、奈良時代を舞台とした長編を書いたのは、デビュー作以来なんです。
今後も、すでにたくさんの人が書かれている政治小説ではなく、文化を軸とした作品を書いていきたいですね。時代としては室町時代や平安時代も面白いと思っています。 『火定』について、先輩の作家さんが「歴史における出来事を書ける小説家はいっぱいいる。しかし出来事のなかにおける人間を書くというのは技量が必要だ。この作品は“人”を書いているからいいと思うよ」と言ってくださったんです。これからもそんな作品を書いていきたいですね。 

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