本田宗一郎~ 夢を追い続けた知的バーバリアン
2018年01月29日 公開 2018年12月26日 更新
私は一度だけ、本田宗一郎本人と会ったことがある。1989年6月、本田財団で「アメリカ海兵隊」について講演したときのことだ。私から見て左側に小柄な老人が座っており、私の話に実によい間合いで反応してくれる。笑ったり、考え込んだり、メモを取ったり、私の話に全身で聞き入っていた。そういうペースメーカーがいると、こちらの話も自然に興が乗ってくるものだ。おかげで、全力を出し切って気持ちよく講演を終えることができた。
最後、私のところにその方が来て、「本田です。どうもありがとう」と挨拶してすぐに帰っていった。その間、たったの数秒であるが、しかし非常に強い、忘れがたい印象が残った。当時82歳、死去2年前の宗一郎その人であった。
人の話を熱心に聞く場合、よく「耳をダンボにする」という。ところが彼の場合、ダンボにするだけで飽き足らず、身体中を耳にしていたのである。
宗一郎を理解する最も重要なキーワードがこの「身体」であると私は考える。
「われ思うゆえにわれあり」で有名なデカルト以来、頭、すなわち脳と身体は分離しており、脳が身体を絶えず支配しているという「知能絶対主義」が世界を覆ったが、最近の脳科学の知見によれば、それは間違っているそうだ。
われわれ人間は外界の状況を身体全体で感知する。その重要なセンサーは全身いたるところに備わっている。それらが感知したものを総合してひとつの概念にまとあげる。その仕事を担っているのが脳なのだ。脳と身体は王と家来のような上下関係にあるわけではない。両者はいわば同僚のように、互いに相互作用を及ぼし合いながら、持ち主であるわれわれの知を豊かにしてくれているのである。
宗一郎は全身これセンサーの人だった。五感を駆使してこの世界を理解しようとした。
小学校低学年の頃である。彼が住んでいる村に初めての自動車がやってきた。村の狭い道をノロノロ走っており、子供の足でもすぐに追いつけたから、後ろにつかまってしばらく走った。停車すると、油が地面にしたたり落ちた。その油のにおいがなんともいえず、鼻をくっつけてくんくん嗅いだり、手に油をまぶしてにおいを胸いっぱい吸い込んだりした。そして、いつかは自動車をつくってみたいと子供心に思ったという(『本田宗一郎 夢を力に』17ページ)。
エンジンオイルのにおいを嗅ぎながら、自動車屋としての自分の将来を夢想する。まさに「身体の人」である。
それは少年時代の話でしょう、という人には、こんなエピソードを紹介したい。
宗一郎がホンダの工場の入口に足を踏み入れるなり、後ろにいた溶接課長を怒ったことがあった。それを見ていた者が、後から怒られた理由を課長に尋ねると、「車のボディをハンマーで殴る音がしたからだ」という。溶接工場なら火花の音がするべきなのに、ハンマーの音がした。それは精度の悪い部品をハンマーでぶん殴って調整しているのだろう、と宗一郎はちょっとした音で見抜いた。まさに図星だった。
その他、交差点で止まった隣の車のエンジン音がおかしいと言い出したところ、その言葉通り、エンジンが止まってしまった話、排気ガスの匂いでエンジンの好不調を言い当てた話など、宗一郎の感覚の鋭さのエピソードは山ほどある。
ホンダで2代目の社長をつとめた河島喜好はこう言う。「よくまあ、そんなことまで知ってるなぁとビックリするくらい、クルマのエンジニアリングの知識は広くて深かった。(中略)それこそ現場・現物・現実で、それらを学んだんでしょうね。知識だけじゃなく、溶接から鋳造から、何から何まで名人級です。紙の上の学問しか知らなかった僕らじゃ、とても歯が立たなかった」(『本田宗一郎 夢を力に』33ページ)。
脳が先か、それとも身体か、という議論は、理性が先か、それとも経験か、という議論に通ずる。もちろん、理性と経験は相互作用しながら知を生み出していくわけだが、どちらが先にあるかといえば、経験だというのが私の立場である。個別具体の経験から普遍化された知識を導き出してきたのが人類の歴史であって、その逆ではないと考えるからだ。
たとえば、われわれが普遍としている真理のひとつに幾何学がある。ナイル川氾濫に苦しんだ古代オリエントの地がその発祥とされている。すなわち、川の氾濫によって、土地がたびたび洗い流されてしまうため、洪水のたびに新たな土地区画を定めなければならなかった。
そこで発達したのが、土地の長さを測る測量術なのである。その測量術から派生して幾何学が生まれた。「土地を測る」という具体的経験から、幾何学という普遍的真理が導かれた。ある一人の天才が、頭の中でつくり上げたものでは断じてなかった。宗一郎の発想がまさにそれで、それはことごとく個別具体の身体的経験に根差したものだった。
※本記事は、日本の企業家シリーズ、野中郁次郎著『本田宗一郎』序より抜粋編集したものです。