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本田宗一郎の「跳ぶ発想法」と「職人型リーダーシップ」

野中郁次郎

2018年01月23日 公開 2018年12月26日 更新


 

跳ぶ発想法

人間が知を生み出す方法論には、演繹と帰納という大きく2つがある。

演繹は理性に重きを置き、一般的な法則から個別の答えを導くトップダウンの分析的な推論である。

たとえば、「すべての人間は死ぬ」という命題がある。それに対して、「ソクラテスは人間である」という命題を対置させると、「ゆえにソクラテスは死ぬ」という結論が導き出される。まったく当たり前の話で、凡庸な三段論法になってしまうことが多い。

それに対して帰納は経験を発想の種とし、個別具体の事例から一般法則を導くボトムアップの拡張的かつ検証的な推論である。

たとえば白鳥という鳥がいる。何百、何千羽の白鳥を見ていくと、確かに白い白鳥ばかりで、そこから「すべての白鳥は白い」という命題が導かれる。ところが、1697年にオーストラリアで黒い白鳥が発見されており、その命題は間違いだということがわかった。「ほとんどの白鳥は白いが、ある条件によっては、体毛が黒くなる」という命題が正しい。先ほどの「ソクラテスは死ぬ」と比べると、断然、創造的で価値ある命題だ。

演繹は絶対に正しい命題から出発し、それを事象に当てはめていくだけなので、その命題以上の新しい発見がない。帰納は集めた事実から、それらに共通の命題が新たに導き出される。つまり、新しい知を生み出すには演繹法よりは帰納法が向いている。

ただ、個別具体の事実から普遍的命題を導く際、先ほどのように「すべての白鳥は白い」といった、まったく当たり前の内容になったら身もふたもない。多少強引だけれども、跳んだ発想を持ち込むほうがより創造的な知が得られるのだ。

そんな跳んだ発想法をアブダクションと呼ぶ。日本語では仮説形成と訳される。帰納法の一種であるが、ある事実の観察から、それとはまったく異なる種類の、しばしば直接的に観察することが不可能な事実を推論する、拡張的かつ遡及的な発想法である。

本田宗一郎はこのアブダクションに長けていた。こんな例がある。

ある車のプロジェクトリーダー(ホンダではLPL=Large Project Leaderと呼ばれる)が、ラジオのスイッチを入れるとアンテナが自動的に伸びてくる特別な仕掛けを車につけた。見学に来た宗一郎にそのリーダーが誇らしげに操作して見せると、喜ぶと思いきや、なんとアンテナが伸びた瞬間、それを手でもぎ取ってしまい、烈火のごとく怒り出した。「これ、歩道側についているんだろう。停車中に脇を通りかかった子供の目を突いて怪我をさせたらどうするんだ」と( ホンダOB原茂男氏インタビュー)。

車の側面で伸びるアンテナを目にした途端、子供が歩いてくる光景を想像し、目を突くかもしれない、という仮説を瞬時につくりあげる。まさにアブダクションである。その間、1秒もかからなかったのではないか。頭で考え論理的に導き出した推論ではなく、鋭い感受性とひらめきによって無意識につくり上げた、彼しかつくり得ない仮説であった。しかも、かくかくしかじかだから、「取り外せ」と指示するのではなく、自らの手でへし折ってしまう。そこには人殺しの道具になりかねない自分たちの製品の安全確保に対する断固たる姿勢と倫理観があった。
 

試す人になろう

直感を駆使して、身体で物事を考え、跳んだ仮説の形成に長けた宗一郎は何より実践を尊んだ。こんな言葉を残している。

「人生は見たり、聞いたり、試したりの3つの知恵でまとまっているが、その中でいちばん大切なのは試したりであると思う。ところが、世の中の技術屋というもの、見たり、聞いたりが多くて、試したりがほとんどない。

彼が卒業した静岡県浜松市(当時は静岡県磐田郡光明村)の山東小学校は廃校になってしまっているが、その後、他の一校と統合されて出発した現・光明小学校はその言葉を受け継いで「試す人になろう」を校訓とし、学校の入口にはその言葉が刻まれた石碑があるほどだ。

かくして、ホンダでは「それは無理でしょう」「おそらく駄目でしょう」という言葉は宗一郎の「やってみもせんで、何を言っとるか」という一喝で消し飛んでしまうのが常だった。

しかも徹底して試すまでやめさせない。ホンダの4代目社長であり、宗一郎の謦咳に接した最後の世代に属する川本信彦氏は私のインタビューにこう語っている。

「あの人の極端なのは、『こうやってうまくいきました』と言うと『もっとやったか』と言うんです。普通の人だと『よかったな』と言っておしまい。ところが本田さんは『それをやったら壊れます』と言うと、『壊せばいいじゃないか』と。うまくいったのだから壊す必要ないだろうと思うのですが、『もっとやったのか』とさらに追求する。壊してうまくいかなかったら、『そこまでやってうまくいかなかったんだな』と。これが本田宗一郎さんの発想の、クリエイティビティを生む1つのポイントになっていると思います。つまり範囲を、駄目だという事実が出るまで広げてしまう。(中略)

駄目だったのなら、どれぐらい駄目だったのか。どこまでやったら駄目なのか。そして限界の結果が出るまで広げてしまう。上手くいっても、それはどこまでやったのか。『お前、やったのか』という言葉は身にしみましたけれど、あれは発想を広げる一つの手段で、本田さんの一つの特徴ですね」。

身体全体で情報を吸収し、直感的な仮説形成を得意とし、何より実践を尊んだ宗一郎は、現場密着の職人型リーダーといえるだろう。

※本記事は、日本の企業家シリーズ、野中郁次郎著『本田宗一郎』序より抜粋編集したものです。

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