「日本人の働き方」はいつからおかしくなったのか?
2018年04月03日 公開 2020年08月19日 更新
日本の雇用システムは、実は日本独特のものである。それを決定づけたのが高度経済成長期。以来、日本人の働き方はどのように変わってきたのだろうか。
それを理解することで、今問題となっている働き方の原因と、今後の目指すべき方針が見えてくる。そこで、各年代のキーワードとともに、日本人の働き方について、人事コンサルタントの城繁幸氏に解説いただいた(取材・構成:林加愛)。
※本稿は月刊誌『THE21』2018年3月号より一部抜粋・編集したものです。
日本型雇用システムは限界を迎えている!
高度経済成長期~安定期(1960~70年代)
1965年からの10年間で、日本の経済規模は2倍の成長を遂げました。この「高度経済成長期」は、日本型雇用形態――即ち新卒一括採用、年功序列、終身雇用システムの幕開け期でもありました。
実はこの時期以前の日本は、能力次第で出世もできれば解雇もされる実力主義社会でした。しかし経済成長で需要が急伸するに伴い、企業は労働力の安定的確保を目指すようになります。
折しも同時期、団塊世代が社会に出て、労働力も潤沢に。そこで企業は新卒を一括で採用、年次とともに昇級させ、定年まで雇用する方式を採り始めます。その環境は当然、働き手にとっても安心感大。
両者のニーズが合致したかたちで、終身雇用は徐々に定着しました。法制度も、その流れに応じて解雇規制を強めます。以降、日本は世界一「解雇しづらい国」となって現在に至ります。
ちなみに終身雇用は、「長時間労働」「転勤」という独特の労働のかたちも生み出しました。
諸外国では、人手が足りない時期やエリアがあれば、それに応じて人を増やす・減らす方法をとりますが、日本は「解雇できない」ゆえに簡単に人員補充ができず、人員が足りなくなっても、今いる人でカバーしなくてはなりません。残業・転勤という日本独自の労働形態は、実は終身雇用を守るための策なのです。
バブル経済期(1980年代)
80年代には、終身雇用が完全に定着。自治体にも民間にもこのシステムが浸透し、80年代後半には、大卒が空前の売り手市場に。
従業員の長期雇用によって技能が蓄積され、ハイレベルな技術力──とりわけ製造業における競争力が飛躍的に向上。その多大な成果は世界の注目を集め、国外でも日本型雇用を研究する経営学者が少なくありませんでした。
言わば日本型雇用の「黄金期」とも言えますが、その中で一つ見落とされていた点があります。それは、人件費がどこまでも膨らむこの雇用形態を維持するには、「経済がどこまでも成長し続けなくてはならない」ということです。常識的に考えて不可能ですが、それができる、となぜか皆が思っていた時代でした。
まさにモーレツ社員の全盛期でもあり、働き手の労働意欲も非常に高く、残業はもちろん、徹夜も当たり前。実は過労死の数は、現在より上でした。
それらが社会問題化しなかったのは、働き手自身が納得していたからです。働けば対価が得られる、ポジションも上がる、いずれは役員になれる……。
今の感覚からすればかなり無理のある予測を、皆が信じられた時代──成長はいつまでも続く、と当然のように思えた時代でした。