イノベーションを妨げるパワハラ上司が、バブル経験世代に多くなる理由
2019年01月09日 公開 2024年12月16日 更新
<<部下を精神的に潰しながらどんどん出世していく人たちのことを、精神科医の牛島定信氏と彼の教え子である松崎一葉氏は「クラッシャー上司」と名付けた。
しかしながら、その上司たちの多くは、メンタルヘルスへの意識が低く、かつ生涯一社が多数派だった時代に、経済成長神話を前提としたなかで実績を積み上げ、現在の地位にいる。
そして、育った背景が大きく異なる今の若手社員にも、自らと同様の資質や努力を強引に求めることにより、クラッシャー上司化する。そして若手からの提案や成長を阻んでしまう。
松崎一葉氏が著書『クラッシャー上司』で、パワハラ上司が生まれてしまう日本の企業の構造と、それを排除しなければ企業からの「イノベーション」が生まれにくいことについて言及している。その一節を紹介する。>>
※本稿は松崎一葉著『クラッシャー上司 平気で部下を追い詰める人たち』(PHP新書)より、一部抜粋・編集したものです。
なぜ以前は「理不尽な叱責」が許されていたのか?
ここ10年、20年で、職場のセクハラやパワハラの認知は相当進んだ。
パワハラがすぐに問題化するため、アンダーグラウンド化してモラハラになった面があるにせよ、人が嫌がるようなことをしてはいけない、というごくごく当然の話が、ビジネスの場面でもようやく常識になってきたのである。
それはクラッシャー上司を生んでしまうような企業社会の鈍感性に、働く人々が気づき始めた表れでもある。以前もパワハラ上司ならいくらでもいたが、そういう人は「カミナリ上司」「モーレツ課長」「鬼部長」と呼ばれるぐらいで問題視はされなかった。
上司から理不尽な叱責を受けても、頑張れば給料は上がるし、出世もしていける。仕事の成果が今よりも出しやすい時代でもあった。
だから、とんでもない目に遭っても、「ああいう人もいるんだと割り切ればいい」と我慢していればよかった。それがオトナの態度で、結果的には自分の利にもなった。
けれども、経済成長の鈍った、あるいは止まった社会になると、我慢したぶんの見返りすらない。
クラッシャー上司の部下に配属されたら、ただひたすら辛い思いをするだけの会社員生活となる。そんな状況になってはじめて、「あの人は問題なんじゃないか」という意識が生まれる。
それまでは、自分を善だと確信している鈍感な上司の暴力性が、会社全体の鈍感さの中に埋没していたのだ。
当時だって、ハラスメントでメンタル不全になった部下もたくさんいたはずなのだが、「うつなんていうのは精神力のひ弱さにすぎない」ぐらいの認識で集団から排除されていたのだろう。職場のメンタルヘルスの意識が非常に低かった。
さほどに粗野で勢いだけはある日本人だったから、高度経済成長という奇跡を成し遂げたともいえるし、もう低成長時代に入っていたのにバブル経済で踊ってしまったのかもしれない。
いずれにしても、今はもうそんな時代ではない。パワハラもセクハラも許せないし、アングラ化したモラハラも問題だとみんな思っている。
意識がそのように変わったので、クラッシャー上司の存在があぶり出されてきたのだ。私の中で「クラッシャー」の概念が生まれた15年前には、「あの上司はおかしい」という感覚を持った人々が、すでにけっこうたくさんいたはずだ。