禅と武士道における死生観
2018年10月16日 公開 2024年12月16日 更新
負のエネルギーによって生命を輝かせる
取材・構成:辻 由美子
写真撮影:永井 浩
自分を否定しないと真実は見えてこない
横田 今回は禅と武士道における死生観と悟りについて、お話を進めたいと思います。私は前回、数ある仏教経典の中でも『般若心経』にひかれると申し上げましたが、では『般若心経』は何かと問われますと、これはわからない。「色即是空」(この世の万物は形を持つがそれは仮のもので、本質は「空」であり、不変なものではないという意)の「空」の意味はわからないということです。
執行 何事もわからないから、いいのです。わかったら終わりですから。
横田 そういうことですね(笑)。「わかる」ということが何であろうかと、まずこのへんの常識を崩していかないといけません。
はたして、学校教育で教わってきたように「わかる」がよいことで、「わからない」のはダメなのか。世の中にはわからないことのほうが多いのではないか。わからないのだということをわかるほうが、大事なのではないでしょうか。
執行 私自身は、「わからぬがよろしい」と思って生きてきました。「わかる」とは、「わからないもの」を切り捨てるということです。それでは「わかった」ことになりません。わからぬままに体当たりで突き進むうちに、見えてくるものがあります。それが年齢を重ねるごとに変化増大していくのです。
横田 認識や思考、知識の枠の中に収まると、人間はわかったような気がします。でも『般若心経』の「空」は、それらすべてを否定するものですから、これが「わかった」ということはありえないことです。むしろ「わからない」から尊い、素晴らしい。その「わからない」ものを永遠に求め続けていくところに道があると思います。
執行 この世界は不合理そのもの。逆にいえば、簡単に理解できるほどのつまらないものではありません。また、そのようなものは程度が低いに決まっています。『般若心経』に関してあれだけたくさんの本が出ているのは、「わからない」証拠ですよ。だから尊い。
横田 『般若心経』は「色即是空」が有名ですが、その前に「五蘊皆空」という言葉があります。「五蘊」とは、色・受・想・行・識の五つですね。色は肉体、受は感覚、想は思うこと、行は行動に表そうとすること、識は認識です。
『般若心経』ではそれら「五蘊」すべてが「空」である、つまり、消せと言っているわけです。
「五蘊」で自分の世界観や思い込みをつくってしまうと、そこから対立が生じます。対立をなくすには、まず「五蘊」=「自分の思い込み」をなくせということです。自我の永遠なる否定ですね。
執行 自分を否定しなければ真実は見えてこないということですね。
横田 そうです。でも「空」で終わってはいけないのです。「空」は必ず、慈悲へとつながらなくてはいけない。自我を捨てて、分け隔てのない平等なものの見方から、無償の慈悲、思いやりの心が出てきます。これは執行先生がおっしゃっている「絶対負」の考え方に通じるのではないかと思います。