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邪馬台国の場所に新説!? 古代史の真相に肉薄した一人の天才科学者

荒俣勝利(文藝春秋)

2018年12月07日 公開 2020年06月26日 更新


 

複雑系科学の見地から邪馬台国の謎に挑んだ"スーパー医学者"

日本古代史最大のミステリーと言えば、「邪馬台国論争」だろう。中国では魏・呉・蜀の三国が覇権を競いあった三世紀に日本列島に存在したとされる邪馬台国だが、その正確な位置はまだわかっていない。

江戸時代から続く論争の中で、候補地として挙げられた場所は100ヶ所を超えるが、現在では大半の研究者が九州か畿内のどちらかを主張している。2009年に奈良の纏向遺跡で大型の建物跡が発見されたことから畿内説がやや優位に立ったとも言われているが、決定的な考古学上の“証拠”はいまだ見つかっていないのだ。

この難攻不落の謎に、一人の天才科学者が挑戦したのが、『日本古代史を科学する』(PHP新書)だ。

著者の中田力氏はアメリカで臨床医として活躍するかたわらファンクショナルMRIの開発に携わり、さらに複雑系脳科学の研究者として脳における意識の発生の謎に挑んだ“脳の渦理論”を提唱するなど、まさに三刀流の活躍をしたスーパー医学者である(2018年7月1日逝去)。

以下、中田氏が邪馬台国の所在地を同定する論証過程をダイジェストしてご紹介しよう。

まず中田氏は、複雑系脳科学者としての立場から、「条件設定と全体像での評価」という複雑系科学における検証作業の方法論を日本古代史に応用すると宣言する。

そして日本古代史の出発点とすべきなのが「魏志倭人伝」であり、その最初の設問こそ「邪馬台国がどこにあったか」である。

複雑系科学においてまず考えなくてはならないのは「初期条件の設定」である。初期条件の明確な提示とその解析が、すべての理論展開に優先するのだ。

中田氏はここで3つの前提を設定する。

【前提1】「魏志倭人伝」に書かれている記載には故意に変更された事項がない。
【前提2】 科学・技術の時代背景をきちんと考察する。
【前提3】社会学的な意識を持ち込まず、常識的でない解釈は採用しない。

【前提1】については、これまでの論争の中で邪馬台国に関する記述の矛盾(と思われる)点を、筆者が意図的に事実を歪めて記述したと解釈する論者たちがいた。先を急ぐので理由は詳述しないが、中田氏はそういった解釈はとらないということだ。

【前提2】は、古代人とはいえ特に天文学においては現代人が驚くほどの正確な知識を持っていたと考えられる反面、理論的には理解できていたとしても、技術力の違いから正確な結果を導き出せない場合が多々あることを認識しなくてはいけないということ。

【前提3】はややわかりにくいが、権威主義に囚われず、科学的常識からも、その時代の社会学的常識からも逸脱しないこと、と説明されている。

以上を踏まえて、「魏志倭人伝」における邪馬台国に関する記述を見ていこう。

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魏志倭人伝に示された距離の単位「里」を推定

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