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邪馬台国の場所に新説!? 古代史の真相に肉薄した一人の天才科学者

荒俣勝利(文藝春秋)

2018年12月07日 公開 2020年06月26日 更新

辿り着いたのは従来の諸説を覆す場所

不弥国からは再び「水行」となり、次の目的地は投馬国である。

「魏志倭人伝」の不弥国以降の行程は以下の通りである。

南、投馬国に至る水行二十日。
南、邪馬壱国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月。

ここに至って「魏志倭人伝」の記載が極端に雑になる。それまで里で記していた距離がなぜか日数に変わっている。

その理由を中田氏は、星を読み、距離を測る能力を持った高級官吏が、不弥国で倭国の粗末な船に乗るのを躊躇い、下級官吏もしくは下僕のような随行者だけが旅を続けたからだと推理する。

その証拠としては、「隋書倭国伝」(『隋書』巻八十一・東夷伝・倭国)の初頭にある記載を上げている。〈夷人里数を知らず、ただ計るに日を以ってす。〉

不弥国から投馬国までは水行二十日。はなはだ情報が乏しいが、「魏志倭人伝」にヒントがある。投馬国は奴国の二万余戸の二倍以上、五万余戸の大集落と記されている。佐賀平野から有明海を南下して二十日で到達でき、当時すでにそれだけの人口を養える肥沃な平野が存在した場所を探せばよいのだ。

ふたたび衛星画像を眺めると、条件を満たす場所が見つかる。現在の熊本付近である。同時に熊本以外の比定は無理であることも判明する。熊本以南の九州西海岸に、水行で到達できる適当な平野は存在しないからだ。

投馬国は熊本付近にあった。いよいよ次は邪馬台国である。熊本から水行十日陸行一月で到達する女王の君臨する国は果たしてどこにあったのか?

結論だけ伝えると中田氏は、邪馬台国が宮崎平野にあったと推定した。そして、この結論を「統計学的に"有意"であることを意味する」としている。
ここに至った根拠や、別角度からの証明、さらなる詳細な場所等についても述べているが、『日本古代史を科学する』に譲ることにする。

いずれにせよ、中田氏の複雑系科学的思考によってたどりついたのは、従来の論者たちの盲点を突くあまりに意外な場所だったのだ。
 

謎への探究心は尽きることはなかった

中田氏はアメリカで、ほとんど両立不可能といわれる臨床医と医学者として大きな成果を挙げ、なおかつ古代史の分野でも専門家顔負けの研究を残した。その知的好奇心の広大さには驚嘆するほかない。

中田氏は死の直前、極めて難解な論文を完成させるとともに、一編の小説も書き上げた。タイトルは『神の遺伝子』。著者の専門である医学から、古代史、現代史そして人類史への鋭い洞察によって生みだされた異形の伝奇ロマン、暗号ミステリーである。本作は2018年に電子書籍としてリリースされている。

人生の最晩年に至っても、尽きることがなかった謎への探究心。天才科学者の底知れぬ知性にはただただ驚嘆するしかない。

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