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大森貝塚だけではない!? モースが見た明治初期の日本の風景

エドワード・S・モース(動物学者、大森貝塚発見者)

2018年11月15日 公開 2018年11月19日 更新

幕末から明治時代にかけて、欧米諸国からやってきた人々は日本論・日本人論をしばしば書き残しており、日本でも翻訳されて読み継がれてきた。そこには、この国の風土や文化への愛着や、あるいは後進性への批判が書かれていることが多い。

そうした中でも、大森貝塚を発見したことで知られるエドワード・モースによる『日本その日その日』(講談社学術文庫)は、当時の来日西洋人にありがちな、西洋文明優越主義にとらわれていないことに特色がある。牧野愛子氏による解説では、こう紹介されている。

<<本書には、明治初期の町の様子と人々の暮らしぶりが、新鮮な筆致で描かれている。一人の研究者らしいすぐれた観察力によって残された明治日本の風景は、記録として貴重なだけではない。

現代の日本人は驚き、同時に郷愁を覚えるだろう。そこに現代日本が忘れ、失いつつある、何か大切なものをみいだす人もいるにちがいない。>>

ここで、モースによる1870年代、明治初期日本の記録を、一部ご紹介しよう。

※本稿は『日本その日その日』(講談社学術文庫)より一部抜粋・編集したものです。

 

日光旅行で見た「日本の田舎」

学校として使われていた寺(エドワード・モース筆)

田舎の旅には楽しみが多いが、その一つは道路に添う美しい生垣、戸口の前の綺麗に掃かれた歩道、家内にある物がすべてこざっぱりとしていい趣味をあらわしていること、可愛らしい茶吞茶碗や土瓶急須、炭火を入れる青銅の器、木目の美しい鏡板、奇妙な木の瘤、花を生けるためにくりぬいた木質のきのこ。これ等の美しい品物はすべて、あたり前の百姓家にあるのである。

この国の人々の芸術的性情は、いろいろな方法――極めて些細なことにでも――で示されている。子供が誤って障子に穴をあけたとすると、四角い紙片をはりつけずに、桜の花の形に切った紙をはる。この、綺麗な、障子のつくろい方を見た時、私は我が国ではこわれた窓硝子を古い帽子や何かをつめ込んだ袋でつくろうのであることを思い出した。(『日本その日その日』p.38)

農家はこざっぱりと、趣深く建てられ、そして大きな葺いた屋根があるので絵画的であった。時々お寺やお社を見た。これ等にはほんの雨露を凌ぐといった程度のものから、巨大な萱葺屋根を持つ大きな堂々とした建築物に至る、あらゆる階級があった。

これ等の建築物は、恰もヨーロッパの寺院[カセードラル]がその周囲を圧して立つように、一般民の住む低い家々に蔽いかぶさっている。面白いことに日本の神社仏閣は、例えば渓谷の奥とか、木立の間とか、山の頂上とかいうような、最も絵画的な場所に建っている。聞く処によると、政府が補助するのをやめたので空家になったお寺が沢山あるそうである。

我々は学校として使用されている寺社を幾つか見受けた。かかる空家になったお寺の一つで学校の課業が行われている最中に、我々は段々の近くを歩いて稽古に耳を傾け、そして感心した。(同書p35-36)

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寺て見つけた「本当の基督教的精神」

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