小説家になった国家公務員 仕事を辞めて手に入れたもの
2019年03月11日 公開 2022年12月26日 更新
(写真:森博嗣)
<<国立大学の大学教官でありながら、38歳で小説家としてデビューし、一躍人気作家へ。『すべてがFになる』「Vシリーズ」などで著名な作家の森博嗣(もり・ひろし)氏は、公務員であることと小説家を滞りなく両立させていた。ところが、48歳で大学を辞してしまう。
小説家として世に出たきっかけ、大学を辞める時の周囲の反応、そしてそれらにまつわる自身の思いが、同氏の近著『なにものにもこだわらない』に著されている。ここではその一節を紹介する。>>
※本稿は森博嗣著『なにものにもこだわらない』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
突然小説家になった
僕は、三十八歳のときに、小説家としてデビューした。そのとき、国立大学の教官(当時の助教授、現在の准教授)だった。したがって、国家公務員だ。
研究に没頭していたし、これといって職場に不満もなかった。若くして昇進して、このまま定年まで務める、という人生の線路が目の前に敷かれている状況だったから、ただ怠けずに日々励むだけで良かった。
また、家庭でも、子供二人が小学生で、マイホームを建てたばかりの頃で、まったく順風満帆の時期だった、といえる。
誰一人、僕が小説家になるなんて想像もしていなかっただろう。そもそも、そういったチャレンジをしようと発想さえしないのが、普通だと思われる。
当時を振り返ってみても、どうしてそんなことをしたのか、自分でもよくわからない
ただ、ちょっとバイトのつもりで小説を書いてみた。小説を書く趣味はなかったし、初めて書いた一作だったが、それを出版社に送ったら、それが出版されることになった。
その後、十年間ほど、大学に務める傍ら、小説を書いていた。その時期においても、周囲の誰一人、大学を辞めるとは思っていなかっただろう。辞める理由がないし、辞めるなんてもったいない、と考える人ばかりだったはずだ。
そんなふうだったから、僕が「辞めます」と申し出たときには、みんなが驚いた。仕事を続けるのが人々の常識であり、つまりは、大勢が拘っている人生のあり方だったようだ。
僕は、どうだったのか。まず、人がどう思うかということを、僕はほとんど気にしない人間である。それ以外では、ごく普通だと思う。
人の話は聞く方だし、仕事など協力して進める作業では、対立を避け、できるかぎり相手に合わせることにしている。自分の意見を強く主張しない。
僕は結婚して今年で三十六年になる。大学には二十五年間勤務した。同じ環境に長くいられたのは、まあまあの協調性がある証左といえるだろう、と思う。
それなのに、突然まったく違う仕事を始め、辞めてしまったのだ。実際、辞めるといってから数年間は続けて勤務している。急には辞められない職場の事情があったし、跡を濁さないようにしたかったためだった。