人生に起こるすべての変化は、うまくいっている証
それに、台湾の「看取り」が何より素晴らしいのは、この短い言葉だけで患者さんを安心させ、穏やかにすることができるという点です。
このような医療者、介護者以外の立場の「第三者」が、看取りの場に継続的に参加してくれる仕組みは素晴らしいものです。
ですから私は今、日本でもこのような環境が整うことを夢見て、台湾での看取りシステムを"輸入"できるように、日々模索している最中です。
日本では、終末期のQODを高める環境が十分に整っているとは言えません。しかし台湾での体験をとおして、いち僧侶として、自分にもまだまだできることがあるのではないかと考えています。
そして、台湾のお坊さんの言葉「万事、うまくいっています」。
私たちも、うまく活用していきませんか。
たとえ、どんなに不幸に思える事柄に見舞われたとしても、大きな流れで見れば、些細なことであったり、全体として見ればうまくいっていたり。「よくないこと」も見方を変えれば「よいこと」に見えてくることがあります。
「万事、うまくいっていない」と思えてならないときこそ、むしろ「万事、うまくいっている」と、唱えてみる。
すると、あわてず、ラクに生きることができるのではないでしょうか。
たとえば、自分が入院することになったとき。
たとえば、家族が闘病することになったとき。
「この先」のことを思いわずらう人は多いものです。
まだ見ぬ「最期」について、ついつい考えてしまうことだってあるでしょう。
でも、どうか心配をしすぎないでください。
人間は、自分で人生の後始末ができるいきものです。
命を終えることに、難しい技術も訓練も、リハーサルも、必要ありません。
人は誰でも、そのときがくれば、まるで呼吸をするように、自然に旅立てるようになっています。
どんな変化が体に訪れようとも、それほど思い煩う必要はありません。
「万事、うまくいっている」
そう心のなかでつぶやくことで、気持ちはずいぶんと楽になるものです。