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大和ハウス工業 「創業者精神」と「夢」の継承を経営の柱に……

樋口武男・松下正幸 「志」対談

2019年04月26日 公開 2019年04月26日 更新



写真右が樋口武男氏、左が松下正幸

「大和ハウス工業」といえば、住宅事業が広く知られているが、現在では商業・事業施設の建築事業をはじめ、環境エネルギー、ロボットなど様々な分野で幅広く事業を展開している。経営の舵を取る樋口武男会長は、経営の根幹に創業者・石橋信夫氏の精神を置き、託された10兆円企業への「夢」に向かって邁進している。創業者精神をいかに実践し、グローバル化など今後の事業展開につなげるか。松下幸之助の経営哲学にも通じるリーダーのあり方を語り合った。

取材・構成:藤木英雄
写真撮影:白岩貞昭
 

創業者から託された10兆円企業への「夢」

松下 2018年、パナソニックは皆様のおかげで創業100周年を迎えることができました。社内ではこの100周年を一つの機として、創業者・松下幸之助の考え方を再徹底するために、大阪・門真に幸之助の経営観や人生観を学ぶことができる「松下幸之助歴史館」などを併設する「パナソニックミュージアム」をオープンするなど、様々な記念事業を展開しております。

樋口 100周年、本当におめでとうございます。

松下 ありがとうございます。
現在のパナソニックでは、幸之助から直接に教えを受けた現役が、もう私一人だけになりました。長い時を経て、組織が大きくなるほどに、会社全体に創業理念を浸透させ、徹底していくことの大切さと大変さを私も実感しているところです。
御社は、創業から60年以上の歴史を重ねてこられたわけですが、社員の方に創業者とその理念をどのように伝えてこられたのでしょうか。

樋口 創業者として、パナソニックさんには松下幸之助さんがおられ、大和ハウス工業ならびにグループには石橋信夫がおります。
石橋信夫が平成15(2003)年に亡くなって、早いもので15年が経ちます。私はその間ずっと、創業者である石橋信夫がいたから今日の大和ハウスグループがある、そしてそれは未来も変わらないのだと、社内だけでなく、社外でも伝え続けてきました。
また、石橋が使っていた執務室は本社に永久保存にしています。奈良の総合技術研究所には、石橋信夫記念館をつくりました。石橋が自宅(大阪・羽曳野)で愛でていた松や桜、庭石などを移して、当時の庭を再現し、実際に使用していた手帳などの遺品も展示しています。
なぜこれほどの取り組みをしているのか。それは石橋信夫という人物がゼロから当社を興したということを、社員に強く認識してもらうのが非常に大事だと信じているからです。

松下 御社では、樋口会長が先頭に立って、創業者と創業精神を伝える役割を担われているのですね。

樋口 私は親孝行こそが、自分の運気を培ってくれる、何物にも勝るものだと考えています。親を粗末にする人間が他人を大事にできるはずがありません。
では、会社で大事にすべき「親」とは誰か。それは創業者ではないでしょうか。その創業者を大切にしない会社が、うまくいくはずがない。当たり前の話をしているだけで、その原理原則を守っていこうと伝えているつもりなのです。

松下 当たり前のことを、当たり前にやるところに、成長の秘訣があるということなのでしょうね。
その石橋創業者様から経営を受け継がれた際に、とても大きな「夢」を託されたとうかがっていますが。

樋口 それは、石橋が亡くなる1年ほど前、平成14(2002)年頃のことでした。闘病中だった石橋が療養していた能登(石川県)の「石橋山荘」と称した別荘を訪ねた際に、「創業50周年(2005年)の時には売上1兆5000億円をやってくれるんやろ」と言われました。「わかりました。やります」と答えると、さらに、「100周年で10兆円の企業群を形成してくれ。それが俺の夢なんだ」と言われたのです。
当時はまだ売上が1兆2000億円ぐらいでしたから、狐につままれたような気分になり、その瞬間は疑問も持ちました。
けれども、石橋が言うことだから、自分にはそれを実現する使命があると思い直したのです。今、ようやく3兆8000億円ぐらいの売上ですから、10兆円はまだまだ遠いというのが現在の正直な気持ちです。100周年まであと37年で、私が今、80歳。117歳まではさすがに生きられない(笑)。それでもこの「夢」を、次のトップになる人や幹部たちに何度も話をして、伝えていっています。

松下 幸之助もそういう大きな目標を常に打ち出す経営者でした。その最たるものとして、昭和7(1932)年に発表した「250年計画」というものがありました。250年を10節に分け、さらにその1節を建設時代(10年)・活動時代(10年)・貢献時代(5年)に分け、それを計10節、250年にわたってくり返す。そうしてこの世に楽土を建設するという使命を果たすのだ――。そのようなことを言っておりました。

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創業者・石橋信夫と松下幸之助との共通点

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