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“薬物依存”に苦しんだ有名人の息子…きっかけは「高学歴の真面目な友人」だった

十枝晃太郎(館山ダルク代表)

2019年11月07日 公開 2024年12月16日 更新


※写真はイメージです

薬物での事件が報道されるたびにその名が伝えられる「ダルク」。民間による薬物依存症リハビリ施設であり、Drug Addiction Rehabilitation Centerの頭文字を合わせた造語で、全国各地に約70箇所ほど存在している。

現在、千葉県の館山ダルクの代表を務める十枝晃太郎氏は、自身もかつて重度の薬物依存症に苦しんだ入所者の一人だった。現在では薬物を断つことに成功し、同団体で同じ境遇に苦しむ人たちのサポートを献身的に続けている。

そんな十枝氏が自らの体験を基に薬物依存者の実態と更生について赤裸々に記した著書『私は世界中から命を狙われていました』より、十枝氏自身が薬物に溺れていくきっかけを伝えている。本稿ではその一節を紹介する。

※本稿は十枝晃太郎著『私は世界中から命を狙われていました  館山ダルク代表が語る薬物中毒の真実』(インプレス刊)より一部抜粋・編集したものです。

 

高校を退学し就職も、仕事は楽しく真面目に働く日々

ご存知の方もいるかもしれませんが、僕の母親は歌手で、母子家庭でした。そんな家庭環境を理由にしたつもりはないのですが、結果として子供の頃にグレていました。

中学の頃から家を溜まり場にして喫煙をしたりアルコールを飲んだりしていて、もちろん勉強の成績は平均に届きません。勉強をすることが嫌いで、かろうじて定時制高校に入学できましたが、ろくに登校もせず、あっという間に退学しました。

そんな人間でしたので、ろくな就職もできませんでした。僕には14歳離れた弟がいるのですが、だんだん「弟に悪影響を与える兄貴」として疎まれていきましたアルバイトも続かず、かといってまともに就職もできず腐っていた時に、親戚が経営している空調設備の仕事を母に紹介されました。

家にいてもグダグダなので、家を出てそこに住み込み働くようになりました。16歳でした。

ちょうど時はバブル時代。大型ビルの建設ラッシュで、新宿の新都庁の建設も始まった頃です。僕が働き始めた会社も都庁の仕事を受注していたので、泊まり込みの日もあるくらいに毎日大忙しでした。

朝5時くらいに起き、7時に現場に着き、そのまま17時まで空調を付ける仕事をしました。すごく健康的でした。

身体が小さい分大変でしたが、身体を動かすことが好きでしたので、仕事自体は嫌いではなかったのです。3年くらい真面目に働いていて、このままこの仕事に就くのだろうな……と思っていました。

 

地元の仲間たちとの再会。そして薬物と遭遇

そうこうしているうちに18歳になって車の免許を取り、たまに車で地元に帰るようになりました。すると、同級生たちが目覚ましい成長をしていました。15歳から離れていたのですが、この3年間は、子どもが大人への入り口へと、人間がものすごく変わる時期でした。

みんな背は高く伸び、顔の形も変わり、大人の風貌を醸し出していました。学生の人はアルバイトをし、すでに社会にでている友人たちも、自由な時間とお金を持っていました。

中学生の頃しか知らない自分から見ると、ものすごくあか抜けた印象を受けました。大学に通っている人でも車を持っていたり、人によっては外車だったり、週末はたびたび地元に戻り、元同級生たちと街に出かけ遊ぶようになりました。

すると、その中にいたんです。大麻を吸っている人が。

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全ては「ちょっと断りにくいな」から始まってしまう

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