“底辺託児所"の「声を上げずに泣く子」…ブレイディみかこの胸を締めつけたもの
2020年02月13日 公開 2021年04月27日 更新
イギリスの親と日本の親の違い
── 本書の中では、すごく親子の対話をされている印象があります。息子さんはお母さんをすごく頼りにしているし、ブレイディさんもすごく真摯に向き合っています。そこにも胸打たれました。
イギリスの親は、けっこう会話しているんだと思います。ママ友たちも、学校で起きていることをよく知っていますよ。よく言うことなんですが、夕食をみんなでいっしょに食べているんですね。
日本だとけっこう、お父さんが帰ってくるのが遅いから、なかなか家族で座って夕食を食べる機会がないと聞きます。でも向こうでは、ちゃんとみんなで夕食を食べて、今日何があった? とか、それぞれに何かしゃべる文化があるんです。
わたしは逆に日本人だからうっとうしいところもあるんですけどね。息子くらいならいいけど連れ合いまで言いだすともう聞きたくないよ、と(笑)。 でもみんなちゃんと言うから。一日あったことを。
── 家族で、一日一回は振り返りと報告の時間があるんですね。
マクロにかたよらず、両輪でいきたい
── 先ほど、エンパシーとあめ玉のテーマについてうかがいましたが、これからこういうものを書いていきたいというところを、最後に改めて聞かせていただけますか。
エンパシーとあめ玉のところはやっていきたいですね。
それと、わたしは昔から社会時評や政治時評も書いているのですが、新聞にコラムを書くようなときは、「社会は右と左じゃなくて上と下になってくる」とか、個人というよりは何か大きな言葉で書くんです。
わたし自身もすごく反省しているのは、「上と下だ」だの「右と左だ」だのそういうことをメインに書くようになると、マクロにかたよるといいますか。個人というか、人間とは、みたいな、そういう視線がちょっと抜け落ちてくるんじゃないかと思っているんです。
でも、「わたしとは」とか「人間とは」というのは、政治時評や社会時評を書くときの主語ではなくて、どちらかというと文学の主語じゃないですか。
だからそういうのはきっと、政治時評や社会時評とは違うジャンルなんでしょうけどね。でもわたしは、そちらもやっていかないといけないというか、そちらにもすごく興味があるので、両輪でいきたいですね。
── ああ、ほんとにそれがブレイディさんらしさなのではないでしょうか。それが、みんなが魅力を感じているすばらしいところなのだと感じます。これからも、ご著書を楽しみに読ませていただきます!