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"がん"になってもやり切った…77歳で博士号を取得した男性の「暗示勉強法」

吉岡憲章、鬼塚忠

2020年03月02日 公開 2022年07月05日 更新

 

がんを克服し、大学院の門戸を叩く

(鬼塚)そこで大学院入学を決意されたのもすごいのですが、もっとすごいのは、吉岡さんが決意した直後、がんを宣告されたという点ですね。

(吉岡)そうです。A社の法的再建などをなんとかして、いよいよ大学院に入ろうというときに、前立腺がんが見つかりました。ここでほとんど心が折れかけましたが、私の中のどこかにか誇りが残っていたのでしょうね。

まだまだ自分は終わりたくないと、自分を鼓舞し、ようやく、ホルモン注射や放射線治療などでがんから脱出できました。

しかし、消耗した体力や気力の回復には時間を要してしまったため、博士号取得へ実際に動き出したのは思い立ってから10年後になってしまいました。そのせいで、博士号の取得が77歳になってしまったわけです。

(鬼塚)困難にたち向かっていく話はいつかドラマになりそうですね。60からはじめるつもりが70になって、それでも頑張る姿は同年代の方々に勇気を与えます。実際、入学してからもいろいろとご苦労があったのではないですか? 70歳の頭が、20代が主の学び場でついていけたのでしょうか?

(吉岡)習熟度がまったく同じというと嘘になりますが、そこはやる気でどうにかなりました。私は学ぶことに執着していましたから。それに前立腺がんで死んでいたかも知れない人生です。怖いものはなかったです。

私の年齢で博士号を取得した人が何人いるかは分かりませんが、この年齢でもやれば出来るという前例を作りたいという気持ちも強まりました。その気持ちが背中を押してくれました。苦労しながらも講義にはついていきました。

講義のテーマによってはむしろ教授よりも私のほうが知識があることもあったので、先生に異見することもありました。大学の先生達にとってすれば、やりにくい生徒だったのではないかと(笑)。ただ、博士論文の作成は予想以上に大変なものでした。

(鬼塚)世の中のほとんどの人は博士論文のたいへんさがわからないと思うのですが、そんなにたいへんなものなのですか?

(吉岡)いわゆる大学の卒論が「高尾山登頂」だとしたら、MBA、つまり修士論文は「富士山登頂」です。博士論文は「エベレスト登頂」ですね。事前の準備から装備品まで、まったく異なります。

エベレストには登るためにチームを組む必要がありますが、それも必要です。たとえば統計学専門の教授とか、心理学専門の教授など、専門的な内容の究明に必要な人たちの協力をバディのように必要とするのです。本当に大変でした。

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自己暗示をかけることで老化を乗り越える

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