大手電機メーカートップが仏門へ…「定年後出家」を続出させる“仏教の魅力”
2019年12月20日 公開
「定年を迎えたら、どうしようか」と悩む人は多い。しかも、現役時代に身を粉にして働いている人ほど、定年後に無気力になってしまう傾向にある。キャリアの選択肢はできるだけたくさん持っておきたい。
そこで、自身も企業に勤めていた経歴をもつ“ジャーナリスト僧侶”の鵜飼秀徳氏が、元サラリーマンであり現在開眼寺の住職である柴田文啓さんと、古代インド仏教に詳しい花園大学の佐々木閑教授に取材。ビジネスパーソンと出家の思わぬ接点と、「第二の人生」を設計するうえで欠かせない視点について解説する
※本稿は、『ビジネスに活かす教養としての仏教』 (PHP研究所)の内容を一部抜粋、編集を加えたものです。
ファッション感覚で出家する者も
出家とは、一般的には在家の人間が、僧侶になるべく、仏門に入ることをいいます。
たとえば、日本には「出家し、僧侶の資格を得た者」(文化庁『宗教年鑑 平成29年度版』記載の仏教系宗教団体に所属する教師資格取得者の総数)が、およそ34 万人いるとされています。
しかし、このほとんどがお釈迦さまのように人生の苦を知り、そこから解き放たれたいと願って遁世したわけではないはずです。お釈迦さまの時代の出家と、現代日本における出家の形態は、まるで異なっているのです。
日本の寺は、世襲による継承が当たり前になっています。寺に生まれた子弟は宗門大学などに入学し、一定期間の修行をこなすことで僧侶の資格を得て、寺を世襲していくのが通例です。
かくいう私も大学時代に、3期にわたって浄土宗の定める僧侶養成講座に通い、22歳の時に浄土宗僧侶としての戒を授かる「加行」を満じて、正式に僧侶の資格を得ています。
古代インド仏教に詳しい花園大学の佐々木閑教授は、「出家」について、こう解説します。
「本来、出家とは世俗では手に入れることのできない特別なものを求めて、自分の家族など一切を捨てて世俗を離れることです。お釈迦さまの時代における出家の動機は様々。お釈迦さまのように『この世は一切皆苦だ』と認識した上で『その苦しみから逃れたい』『生きがいを求めたい』という志を持って出家するケースもあれば、出家そのものに憧れを抱き、『出家ってカッコいいね』とファッション感覚で出家する者も多く存在しました。出家の時点では年齢や資質は問われませんでした。殺人者だって、お釈迦さまや仏教サンガ(出家修行者の組織)は受け入れました。日本のお寺の子弟の〝出家〞の形態とは、まるで違います」
ジャック・ウェルチCEOと懇意の仲
古代インドの出家者のように、現代日本においても年を召してから、別の価値観を求めて世俗を離れたいと願う人もいます。たとえば早期退職し、あるいは定年後に、「第二の人生」として仏門を歩む人などがそれにあたります。
長野県千曲市にある開眼寺 住職の柴田文啓さん(84)=取材時=は、そうした在家出身の出家者のひとりです。私は柴田さんとは5年ほど前に知り合い、1年に1度ほどお会いする関係です。先日は京都で佐々木教授と柴田さんと、一度にお会いする機会がありました。
柴田さんは大学卒業後、工業計器大手の横河電機(東京都武蔵野市)に就職。同社の産業用コンピューターを手がけるなど、技術畑を歩み、42歳の時、同社の医療事業の立ち上げに参画しています。米ゼネラル・エレクトリック(GE)との合弁会社設立にも携わり、その後、ヨコガワ・アメリカ社社長にまで上り詰めた方です。
そこで知り合った「経営の神様」と呼ばれるGEのCEOジャック・ウェルチ氏とは、今でも懇意にされているそうです。
そんな柴田さんが出家したのが、横河電機役員を退いた後の65歳の時でした。柴田さんは、若い時から座禅会に通うなどして、仏教に大きな魅力を感じていたということです。
滋賀県の臨済宗寺院で1年3ヶ月の間、雲水として修行に励み、正式に禅僧に。でも、柴田さんは在家出身者です。寺の生まれであれば、そのまま自坊を継ぐことができますが、柴田さんには入るべき寺がなかったのです。
そこで、宗門の紹介を受け、2001年に住職として入ったのが縁もゆかりもない長野県千曲市の里山にあった開眼寺でした。柴田さんが寺に入った時、開眼寺は無住で、檀家はわずか1軒のみでした。
柴田さんは、このように振り返ります。
「第二の人生として、僧侶として生きることは理想的だと思いました。寺の収入は足りなくても、長年企業勤めをしていれば年金が入る。贅沢をしなければ寺という恵まれた環境の中で、人生の再設計ができます。
そして多くの悩みを持った人を受け入れる。私のようなリタイア組は社会を経験していますから、世襲型僧侶とは違った視点で人々に対する寄り添いができると考えました」