「昼休みが孤独だった」人づきあいをせず漫画に没頭した“スヌーピーの父”
2020年03月24日 公開 2024年12月16日 更新
「子供は大人より辛い」真実を示すチャーリー・ブラウンの言葉
アメリカでは、子供はみな幸せで、子供時代は素晴らしいものだという前提があった。心を悩ます問題や、和らげるべき苦痛を抱えているのは大人だけだと思っていた。
シュルツは、子供の苦しみは大人の苦しみよりはるかに辛く感じられ、子供の敗北感のほうがはるかに心に重くのしかかり忘れられない、という事実を示すことで、自然の法則を(かつて男女間の優位性を暴いたように)暴き出した。
チャーリー・ブラウンは、ヴァイオレットとパティから頭の大きさのことで繰り返しいじめられる。ビーチボールやグローブ、パイを焼く皿、月、風船などと比べられる。
もっともチャーリー・ブラウンは自分を惨めに感じても、たちまち立ち直るし怒っているようには見えない。
「エイブラハム・リンカーンになりたい?」
とパティに訊かれて、チャーリー・ブラウンはこう答える。
「そうは思わないな。普通のチャーリー・ブラウンでいるだけでもけっこう大変なんだ」
子供というのは根本的な不満を抱えてはいないと思われている。
子供たちは辛いときには、抵抗し──泣いたり、めそめそしたり、叫んだり、悲鳴を上げたりして―─それから前に進んでいく。
シュルツがこうした子供たちに与えたのは、生涯続く不満、大人が抱くような感情だった。
読者は「哀れな、愛されない、誤解ばかりされている丸顔の」チャーリー・ブラウンに、自分自身の姿を見た。
シーズン中全試合に負けることが運命づけられたときの威厳のある表情、侮辱されても我慢して平静を装う態度に。
というのも、チャーリー・ブラウン自身が「チャーリー・ブラウン」であり続けることは消耗し苦痛を伴うプロセスだ、と喜んで認めているからである。
人々はチャーリー・ブラウンを見ると、ほかの漫画のキャラクターではなかったことだが、傷つきやすいとはどういうことか、この世界で小さくて孤独であることとは、人間らしいこととはどういうことか、について思いを馳せる。
アメリカ人は友情や連帯や公明さを信じているが、結局は疎外感や孤独感に苛まれている。その孤独感は、シュルツのなかにも、彼の家庭のなかにも、彼のキャラクターのなかにも深く根付いているものだった。
そういったキャラクターは最後の四コマ目で、打ちのめされた絶望感から顔を背け、直接読者のほうを見つめていた。