日本全体が苦境に陥っているといえる状況、日本全体を覆っているのは「不安」だろう。先行きが不透明な状況のなかでは、自分自身の明日も見えづらく、心に重荷を背負ったままの日々の生活は辛い。
ニッポン放送「テレフォン人生相談」にて数十年にわたり、多くの人たちの悩みを聞き、その心を和らげきた作家で早稲田大学名誉教授の加藤諦三さんは、自著『不安のしずめ方』にて、その苦しさとどう向き合い、対処すれば良いかを説いている。
本稿では、同書より不安を避けるがあまり不幸を手放せなくなる状況について触れた一節を紹介する。
※本稿は、加藤諦三著『不安のしずめ方』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
不幸を手放さない人たち
私が、「人は時に、死んでも不幸を手放さない」と言ったら、あなたはどう思うだろうか。
多くの人は「まさか」と思うだろう。
人は誰でも幸せを望んでいるから、「死んでも不幸を手放さない」などということはあり得ないと思うに違いない。
しかし、悩んでいる人と四十年以上にわたって接してきた私の感想は、「人は時に、死んでも不幸を手放さない」ということである。
私はこの何十年間、命がけで不幸に執着する人を何人も見てきた。
それは、人間にとって、不幸よりも不安のほうがはるかに強い感情だからである。
人は不安を避けるためには、死にものぐるいで不幸にしがみつく。
なりふり構わず不幸にしがみつく。
私は20年以上も、ラジオのテレフォン人生相談のパーソナリティーをしている。
そこで、つくづく感じるのは、悩んでいる人は、なんでここまで不幸な結婚にしがみつくものなのかということである。
不幸な結婚でノイローゼになっている奥さんがいる。
ひどい夫と離婚することを勧すすめても決して離婚しようとしない。たとえアルコール依存症の夫でも今の生活が変わるのが不安なのである。
離婚した先の人生がどうなるか不安だから、たとえ暴力を振るう夫でも離婚はできない。
不安を突き抜けて先に行くよりも、今の慣れた不幸のほうが生きやすい。
人は不安だからこそ、今の自分に固執する。
不安であればあるほど、現在の自分へとリビドー(本能的エネルギー)は固着する。
そして、自分が離婚の不安に耐えられないことを、「子供がかわいそうだから」といいわけをする。
「子供のために」という言葉で、どれほど多くの子供が犠牲にされているかわからない。
奥さんは、離婚して未知の生活が始まることが不安なのである。
なじみのない世界で自分は生きていけるかどうか不安なのである。
人は、自分の実力が試される場面で不安になる。
彼女は仕事をしたことがないので、自立することに不安がある。
こういう奥さんは、たいてい、自分は社会で働けないと夫から思い込まされている。
自分は生きる能力がないと思っているから、現状に執着する。
じつは、現状に執着するというのは過去に執着するということなのである。