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前田慶次の心を動かした、大河ドラマ『利家とまつ』の魅力

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年07月07日 公開 2022年06月30日 更新

 

利家と秀吉の出自を超えた家族ぐるみのお付き合い

竹馬の友、親友の間柄であった利家と秀吉。共に信長という主君を持ち、出世を争う仲でもあった。

妻同士も互いに仲が良く、家族ぐるみの付き合いもしていた。現世で申すところの「ご近所さん」で、清州城下に住んでいた時は隣同士、安土城では向い同士住んでいた。秀吉と妻である、ねねとの婚礼を利家が仲人を務める程の関係。

当時、恋愛結婚が殆ど無かった時代に、農民出の秀吉と武家の家柄のねねの身分の壁を越えて結婚できたのは、利家の顔があったからとも言われておる。

利家と秀吉は武家と百姓という間柄で、身分を超えた友という関係性であった。信長が、身分を問わず優秀な人間を重宝するという考えであったため、この二人の関係性が生まれた。乱世において珍しい関係であったことは間違いない。

『利家とまつ』でも、秀吉とねねとの婚礼を取り上げておるし、利家の窮地には秀吉が手を貸したり、時には殴り合い、妻同士の助け合いもあれば、女の見え張りから喧嘩をしたりと両家の関係も強く描かれている。

利家とまつを軸においたからこそできた表現であるし、利家と秀吉の身分を超えた関係があったからこそホームドラマとして描くことができたのじゃ。

 

恩人か友人か…究極の選択を迫られた「賤ヶ岳の戦い」

『利家とまつ』の見所の一つが、賤ケ岳の戦いである。日本史的にも熱い合戦の一つに数えられるこの戦は、本能寺の変にて、主君織田信長を亡くした織田家中の後見人争いでもある。

重臣柴田勝家と羽柴秀吉の両雄が争った。利家にとって勝家は特別な人で親父と慕い、命を何度も救ってもらった大恩人。恩人か友人か、どちらに味方するのか、利家一世一代の決断であった。

悩みに悩んだ結果、利家は秀吉と組み、賤ケ岳の戦いの敗者は勝家となった。利家の葛藤はドラマの中でもかなり見応えがあり、どちらに付くか、是非とも己と被せて見てもらいたい場面の一つである。

この場面、歴史的に申すと感動的な話とはちとなりにくい部分がある。利家は実際は柴田軍として一度出陣するが、撤退。その後、秀吉と組むことにしたが参加が遅れ、戦では大きな活躍を見せるができなかったが、領土を加増される特別待遇を受けた。

それは友であるから? 乱世はそれほど甘いものではない。利家を評価することは、秀吉にとって極めて重要な策の一つであった。

賤ケ岳の戦いの後、北陸の領土を更に広げる事になった利家。利家の嫡男、つまり後継ぎとなる息子が信長の娘を妻としていた。つまり、織田家の親戚ということじゃ。秀吉自身も、信長の息子である秀勝を養子としている。

明智光秀を討った山崎の戦いでは、信長の三男信孝と共にこの秀勝を「弔い合戦」の旗印とした。つまり、「信長の血縁」を自らの傘下にいれることは、当時の秀吉にとって大きな力となったはずじゃ。

信長の親族である利家を厚遇することで、己が信長の後継者であるという立場を、強く発信する材料となった。多くの人間を取り込む、先見の明にすぐれた秀吉ならでは優れた策であったと儂は思う。

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利家の生涯を表す歌「死のうは一定」

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