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異説を採用した!? 大河ドラマ『秀吉』が描いた「本能寺の変の真の原因」

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2020年07月25日 公開 2022年06月30日 更新

 

現代の「お花見」の形をつくったのは秀吉?

晩年の秀吉の、あり得ぬ行動や、無茶難題はあまり描かれない大河ドラマ『秀吉』であるが、秀吉が行った偉大な功績を取り上げていた。

それが花見である。秀吉と桜の花見の関係は深いものがある。

今となっては老若男女が楽しむ春の風物詩となった。飲食を楽しみながら、座敷を敷いて人を集めてお祭り騒ぎをする花見。花見そのものは、戦国時代よりも前に存在するが、花を愛でて和歌を作るそれまでの花見に対して、今の花見の姿を築いたのは秀吉であった。

秀吉は天下統一を果たしてから、奈良で行った吉野の花見と京都で行った醍醐の花見を開催している。吉野の花見は、参加人数5000人にも及び、5日間行われ諸大名も多く参加した。

正に派手好きで、自分が天下人になったことを世の中に示すかのような騒ぎであった。醍醐の花見は晩年におこなったもので秀吉、秀頼、前田利家以外は女子で、1300人の女子が参加。参加した女子には、3着の着物を贈呈して余興として楽しんだそうじゃ。

何と、この着物の衣装代だけで、現代の金額にして40億円もかかっていたと伝えれている。この花見の為に、貴重な桜木を大量に持ってこさせて庭園を造ったりと秀吉最期の祭りといっても過言ではない。

死期が近いのが分かっておったから、催したのかもしれんな。人を大勢集めてどんちゃん騒ぎをする、これを花見として位置づけたのは間違いなく秀吉の功績と言える。今、現世の者が楽しむ花見は秀吉なくしてあり得なかったやもしれん。

 

大河ドラマの「歴史人物像」が現代人に与える影響は大きい

今、多くの者がイメージする秀吉は確実に、この大河ドラマ『秀吉』の影響と言え申す。『麒麟がくる』では斎藤道三のイメージを変え、織田信長のイメージも変えつつあり、何より主軸の明智光秀のイメージが変わった者は多いと心得る。

これからも大河ドラマは多くの者にとって、その人物像を描くヒントとなることは間違いない。故に改めて過去の作品であるが、歴史を学ぶ上でも大河ドラマという作品は味わい深く視聴してもらいたい。

【参考文献】
『武士のメシ』永山久夫著 (宝島社刊)
『歴史人』(KKベストセラーズ発行)

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