僕は医者に向いていなかった
【伊集院】先生も世間に無理やり合わせていた時期はあるんですか?
【養老】いやいや、無理やり合わせようと思ったことなんてないものね。僕の若いころ、たとえば高校で就職を考えるでしょ。当時、大学に行くのは全体の一割ですよ。
だから就職しようとしたら、たちまち情報が入ってくるわけです。たとえば「片親の学生は採らない」という会社がある。「こりゃダメだ」となる。僕は幼いときに親父を亡くしているからね。
周りも言うんだよ。「おまえみたいな愛想の悪い人間は会社に合わない」とね。「そりゃそうだな」と思ったから、大学にでも行って勉強するしかない。そういう意味では素直に勉強していました。
それで虫好きでしょ。「じゃあ昆虫を研究しようかな」と思ったら、当時国立大学だと、昆虫を研究しているのは北海道大学と九州大学しかないんですよ。北と南。東大にあったのは害虫教室。害虫には行きたくないんだよ(笑)。
【伊集院】なんで好き好んで悪い虫のほうに行かなきゃいけないんだ、と(笑)。
【養老】ふざけんじゃない、と。でもしょうがない。おふくろが医者だったから医学部に入りました。でも医者になる気はなくて、というのも僕は患者さんが苦手なんだよね。だって東大病院は当時、ほかの病院が見放して、もう仕方なく引き継いだ患者さんが多かったんですよ。
だから死ぬのが当たり前。たまに治って「おかげさまでよくなりました」とうれしそうに教授にあいさつに来るのを脇で聞いていると、「あなた、いずれまた別の病気になって必ず死にますよ」と言いたくなる。僕はだから医者に向かない。
【伊集院】そりゃ向かないわ(苦笑)。
【養老】だからずっと解剖をしていました。医学部を出て解剖学をする人って非常に少ないんですよ。だって僕が相手にしていた患者さんは、手遅れとか難病で亡くなった人でしょ。ときどき間違えて僕に医療相談する人がいるんだけど、「死んだら診てやる」と言ってます(笑)。
【伊集院】もう学生時代から、ずっと世間の常識から外れている。
【養老】外れているんじゃないかな。合わせようにも、そもそも合わせようがなかったんだね。大学の基礎研究だから、その給料じゃ家だって買えるわけがないと思ってたものね。それどころか結婚することだってできない。だって僕が就職したのは29歳ですよ。
【伊集院】でも世間じゃ、いつまでもぶらぶらしているとか言われるわけですよね。
【養老】しょうがないんですよ。そういう正規な学生をやっていて29になっちゃったんだから。
【伊集院】先生は「自分が世間からズレている」という自覚も早くて、ズレていることに対して、もがかなかったんですね。でも普通の人はみんな、世間に違和感を持っていても、ズレないように頑張る。
僕はそういう時期が長かったので、そっちの気持ちがよく分かります。でも先生の「ズレたらズレたでしょうがない。ズレるという生き方もある」というスタンスには憧れるし、なんだかホッとするんですよね。