養老孟司が語る 京都の魅力、京都の壁
2017年06月19日 公開 2024年12月16日 更新
※本記事は養老孟司著『京都の壁』(PHP研究所刊、京都しあわせ倶楽部)より、その一部を抜粋編集したものです。
世の中は諸行無常である
川と都市の発達
京都の自然と聞いて、みなさんが最初に思い浮かべるものは何でしょうか? 私は何といっても鴨川です。高度に発達する都市は、川を中心に開けていきます。川がないと、風景もまったく違ってしまう。東京ではほとんど隅田川が見えなくなりました。本当は東京の中心だったはずなのに隠してしまった。今はむしろお堀が中心になっています。
鴨川は昔も今も、間違いなく京都の中心です。文明の発祥地がそうであるように、高度に発達する街はパリのセーヌ川のように、川を中心にして栄えます。京都の鴨川はそれに匹敵すると思います。ただし、パリと京都の違う点は山があること。パリにはモンマルトルの丘はあっても山はありません。
東京にいたっては山も川も見えません。関東平野は広すぎるし、高層ビルが建ちすぎて見通しが悪い。京都の場合は、建物の高さに制限がありますから、空が広いし、山も間近に見えます。
東京で見える山といえば、せいぜい富士山。でも、富士山は、東京でなくても見える土地はたくさんあります。秩父の山なども見えなくはないですが、どのあたりがどの山なのか、さっぱり区別がつきません。高尾山も都心からは全然見えないし、東京にはランドマークになるような山も川もないのです。
鴨川と『方丈記』
京都の鴨川と重なるのが鴨長明の『方丈記』です。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」で始まる鎌倉時代の随筆です。
現代風に訳すと、「行く川の流れは絶えることがなくて、しかも、もとの水と同じではない。流れが滞っているところに浮かぶ水の泡は、一方では消え、一方では生じて、長い間、同じであり続ける例はない」。
三つ目の文章は「世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」です。つまり、人間も鴨川と同じですよと喝破しています。それは生物学では、物質の代謝がはっきりするまではわからなかったことです。人の体は七年ですべての分子が入れ替わっていますが、みなさん、そんなことは考えていないでしょう。でも鴨長明は知っていたのです。「あなただって鴨川と同じだ。ものを食べているのだから、食べたものが体の中に入って体をつくっている」とわかっていたのです。そして「あなたはそこにいつもいるけれども、実は中身は入れ替わっているのだ」と言っています。「世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」とも言っていますから、街もまた、同じだと書いています。これは相当に深い哲学です。
これがそのまま、あの時代に初めて意識された考え方だろうといえるのは、『平家物語』の冒頭も同じだからです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。まさに諸行無常、すべてのものは移り変わるということが、『方丈記』と『平家物語』には共通しています。諸行無常とは、移りゆく時の流れの中で栄枯盛衰を実際に見た人が感じるもの。おもしろいのはその後の日本人が、「それでは、移り変わらないものは何だ」ということをあまり考えてこなかったということです。
『方丈記』も『平家物語』も誕生したときから同じで変わりません。つまり、時間を超えても変化しない。それが情報であり、テキストです。それを突き詰めていくとコンピュータの0と1になります。
たとえば平安時代は、万葉の歌を引用して「詠よ み人知らず」として歌を残しました。これは情報です。情報は情報として残された瞬間から変化することはありません。しかし、人間は諸行無常なのです。いずれはお迎えがくる。鎌倉時代の仏教はあの時代にほぼ完成していますが、その背景をふまえて、短い文章の中に、当時の日本の様子を見事に活写した『方丈記』は、日本のジャーナリズムの走りともいえる作品です。
『方丈記』には食糧の話も書いてあります。都が飢饉になると、人々は財貨を家から持ち出して食べ物に換えようとするけれど、農家は粟を高くして黄金を安くするということが書いてあります。これは私が戦後に経験した食糧難とまったく同じです。日本で起こりうることは、『方丈記』の中にほとんどすべて書いてあるのです。