「不要なものを捨てられる人」が最後に勝ち残る
2020年12月10日 公開
元リクルート社フェローとしてビジネスの現場で多くの実績を残した後に、杉並区立和田中学校や奈良市立一条高等学校の校長としても注目を務めるなど、社会や組織の枠組みを超えた活躍を見せ続けてきた藤原和博氏。
本稿では、著書にて藤原氏が組織から離れた場所で個人がどう「居場所」を作るべきか説いた一節を紹介する。
※本稿は藤原和博著『処生術 ――自分らしく生きる方法』(ちくま文庫)より一部抜粋編集したものです。
「あれも、これも」と欲張ったことで痛手を被ったのに…
新年になると「一年の計は元旦にあり」とばかりに「よーし、今年は英会話を始めるぞー」「今年こそファイナンシャルプランナーの資格を取るべくガンバル」とか、「年末までに絶対結婚相手を見つけるんだ」「料理の腕を上げたい」など、それぞれ誓いを立てる人が多くなる。
たしかに戦後50年は経済社会の拡大とともに、国の予算や鉄道や道路や、私たちのなすべきことは拡大の一途をたどってきた。企業も、「もっとシェアを、もっと売上を、もっと多角化を」が共通の標語だった。
それと呼応するようにして、私たち個人の側にも「これもやらなくっちゃ、あれもやらなくっちゃ」という"MORE(モア)"のムードが支配した。
しかし、すでに20年以上も前の1997年に高度成長はピークアウトして、1998年から日本は成熟社会に突入したのだ。その頃、銀行、証券、保険業界から始まって、すべての業界でリストラの嵐が吹き荒れた。
リストラと言うと、物事の本質がぼけてしまうので、もっと分かりやすい言葉で言い換えてみよう。
(1)事業がうまく行かない市場から「逃げる」
(2)不確かでリスクの高い投資を「避ける」
(3)付き合いや義理で続けていた取引を「断る」
(4)不必要に抱えていたマンパワーを「減らす」
(5)あれもこれもという社員に対する福利厚生を「止める」
対応の早かった企業は、その10年前の1989年ころ、「バブルがはじけた」と一瞬噂されたとき、さっさと事業のリストラに着手していた。その後最低でも2~3回は「バブルがはじけた」という警鐘は鳴っていたから、98年ごろ慌ててリストラに乗り出した会社は、よっぽどののんびり屋だったと言わざるを得ない。
その証拠に、1998年の中間決算では、全上場企業平均で10%の減益の一方で、10%の会社は史上空前の増益を出したことが伝えられた。
早い段階でリストラを終えて、会社の"CORE(コア)"になるサービスや技術や事業に特化したところが突出して業績を上げ始めたからだ。
インターネットの世界に限らず、メーカーや流通の世界でさえも勝者が最後に総取りする“ウィナー・テイク・オール”マーケットに市場が変質していく傾向が見えてきた。
"CORE(コア)"というのは、その企業の強みがもっとも発揮される「会社の持ち味や固有技術」のことをいう。少なくとも企業社会では、勝ち組と負け組ははっきりしたのだ。
ところが、一人一人の個人にはまだまだ"MORE(モア)"の呪縛がかかっているように見える。
「もっともっとグッチのバッグが欲しい」とか「もっとリッチな貴族旅行がしたい」と、ただ単に着飾るタイプの"MORE(モア)"星人はさすがに姿を消しつつあるが、「もっと何か、他の誰かのようにならなければ」とか「もっと他に私の天職はあるはずだ」と、青い鳥を探して歩く"MORE(モア)"症候群はなかなか消えそうにない。
実際、何を身につければリストラされずに済むのか、どこに転職すれば青い鳥を見つけられるのかと、いまこの瞬間も悩んでいる方々は多いのではなかろうか。