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松永久秀の最期の言葉「南無三宝」の深い意味…『麒麟がくる』が描ききった“梟雄の結末”

前田慶次(名古屋おもてなし武将隊)

2021年01月16日 公開 2022年08月08日 更新

全国にその名を轟かせる「名古屋おもてなし武将隊」。名古屋城に詰め、観光客をもてなす武将と足軽の10人組である。2009年11月、名古屋開府400年のPR大使として名古屋にゆかりの6人の武将と4人の足軽で名古屋おもてなし武将隊が結成、すでに10年以上にわたり活躍を続けている。

そのうちの一人、前田慶次氏は名古屋城検定に検定過去最高点で合格し同検定の名誉顧問を務め、日本城郭検定にも合格するなど歴史への造詣も深い。

前田慶次氏が自身のYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にてNHK大河ドラマ『麒麟がくる』を徹底解説している。本稿ではその一部を紹介する。

※本稿はYouTubeチャンネル「前田慶次5分で戦国時代チャンネル」にて配信された内容を再構成したものです

 

1577年は、信長にとって大きな年

第40回「松永久秀の平蜘蛛」、ここ迄の放送で最も演出の采配に感動した! 松永久秀の最期をどう描くのか、番組放送当初から期待されていた。そんな中、歴史素人から玄人まで、皆が納得する見事な描き方に感服仕った!

此度の放送回の数か月前、信長は世に有名な安土城下で「楽市楽座」を発令した。経済や政治を有利に進めた信長の代表とする政策。楽市楽座とは座や市などの同業組合の如き特権を認めず、座に属さない新規の商人にも自由に営業を許した。

信長は、最初に美濃の加納で楽市楽座を発令。その後、1577年に近江の安土城下でも発令した。因みに楽市楽座は、1549年に近江六角氏が最初だと言われている。

7月には、安土で茶会を開催。「茶の湯御政道」(お茶を政治の道具として利用)を持って、茶の湯の敷居を高める最中であった。故に、松永久秀が所有していた、現世でいう国宝級の茶道具を信長は欲していのだ。

 

視聴者を納得させる"神演出" 松永久秀の死に様

遂にやってきた、松永久秀の最期! 有名な逸話として残る、茶釜「古天明平蜘蛛」に火薬を詰めて爆発、日ノ本初の久秀の爆死。どのように描かれるか多くの者が期待していた。

結果は、自慢の茶道具に火を掛けて切腹という、真実味の高い描写であった。平蜘蛛ついては、信長が「献上すれば許してやる」と松永久秀に伝えた。そもそも裏切る以前から、信長は平蜘蛛を所望しており、事あるごとに久秀は断ってきた。

久秀は生涯二度、信長を裏切っている。一度目は「多聞山城」と「大和国」を差し出し、許してもらった。これはドラマで描かれることが無かった故に、覚えて欲しい。

二度目が此度の一件じゃ。過去にも、三好勢と手を組んでいた久秀、信長と同盟を組む為に九十九髪茄子という茶入れを献上していた。久秀の数寄者としての確かな目利きは、茶の湯御政道を進めようとする信長にとって存在価値があった。

故に前代未聞の二度目の裏切りにも関わらず、猶予を与えた。この時、久秀も齢70近く。先も長くないであろうと感じていたやもしれん。

この場面の神演出、平蜘蛛をドラマオリジナルキャラクター伊呂波大夫に託し、光秀の手に渡った時、久秀の最後の台詞が「南無三宝」であったこと。平蜘蛛の行方は不透明で確かになっていない。「爆発も、ドラマとしては盛り上がるのであるかも」と儂もどこか期待していた。

結果は、爆発はさせず、平蜘蛛を光秀と信長の溝を作る「爆弾」として演出した。信長は喉から手が出る程欲した平蜘蛛を、家臣佐久間信盛に命じて手に入れようとしたが、叶わず。残骸も探す程の抜かりなさであった。光秀は裏で手をまわし、主君信長に偽りを申して平蜘蛛を隠した。

結果、信長と光秀は信頼関係が無くなる。本能寺の変の伏線となる運びとなった。光秀は自分の立場が危ないと悟り、笑う他なかった。爆発する事は無かったが、爆弾として描かれた平蜘蛛。導火線に、いつ火が付き爆発するのか、これからの楽しみとなった。

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松永久秀の「南無三宝」が伝える真実

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