校長にも信用されず“不登校”に...ヨシダナギが歩む「逃げる人生」
2021年09月02日 公開
「片思い」にケリをつけに行く
学校に行かなくなってからの私は、家に引きこもって一日中、パソコンで遊んでいた。そのうちブログのようなことをやりはじめたら、ネット上で芸能事務所にスカウトされ、 14歳でグラビアアイドルになった。
根暗で引っ込み思案の私にはどう考えても向くはずのない仕事だったのだが、スカウトされたことを父親に相談したところ、「学校に行かないなら、人と違うことをやる必要がある。グラビアもだれもができる仕事ではないのだから、やってみたらどうだ」というアドバイスによって、「特別やりたいわけじゃないけど、学校に行ってないのだから、そのぶんやってみよう」と一歩を踏み出した。
そして、案の定、グラビアアイドルはイヤでたまらなくなってやめるわけだが、その仕事で知り合った人にすすめられて、 20歳でイラストレーターになった。
いずれにしても、 23歳のとき、はじめてアフリカに行った。なぜ行くことにした かといえば、純粋にずっとあこがれていたアフリカに行きたい、アフリカ人に会いたいという気持ちが50パーセント、もう50パーセントはアフリカへの長い「片思い」が、いいかげんわずらわしくなったからである。
行ったこともない場所、会ったこともない人たちに一方的にあこがれつづけるという状況は、会ったことも話したこともない相手にひたすら叶わない思いを募らせる一種の「片思い」のようなもので、そんな中途半端な状況に嫌気がさした。
行ってみたらガッカリしてアフリカが嫌いになるかもしれないが、それはそれでスパッと見切りをつけて身軽になれていい。とにかく、この片思いにケリをつけたかった。
アフリカのことにかぎらず、私は長いあいだ悩むということができない。一つのことについて四六時中悩むということが、小さいときから苦手だった。そもそも、それだけ悩みつづける体力や気力がない。
アフリカに行くか行かないか、行ってどうなるのか。いくら悩んだところで答えはアフリカにしかないわけで、このまま行かずに日本でウジウジしていたら、ダメな男と別れるか別れないかの恋愛相談を女友達に延々しているのと変わらない。
とはいえ、やっぱり最初はひとりでは心細かったし、だれかと一緒にアフリカに行きたくて、数少ない友人たちに声をかけたけれど、アフリカは遠く、危険というイメージが強すぎて、一緒に行ってくれる子が見つかるわけもなく、結局、ひとりで行くことになった。
しかも、当時の私は英語がまったくしゃべれなかった。「日本人なんだから英語は勉強しなくていい」という母の偏った教育方針に加え、中2で学校をドロップアウトしてしまった私には、5つの英単語しか手札がなかった。
友達と行ったはじめての海外旅行では、友達がタクシーの運転手さんと英語で会話しているのを見て、いったいいつの間に習ったのかと心底驚き、「学校で習った」と言われて、学校でそんなに役に立つことも教えていたのかとふたたび驚いた記憶がある。
しかし、そんな私でも、なんとかアフリカをひとりで旅することができた。便利な電子辞書のおかげで、伝えたい言葉を打ち込んでは出てきた翻 訳を相手に見せることで、なんとか意思の疎通を図ることができた。
そしてなにより、最初に降り立ったエチオピアで私についてくれた現地ガイドが、とにかく根気強く話しかけてくれる人だったことがラッキーだったと思う。私が「イエス」とか「サンキュー」と返すだけで、「英語しゃべれてるじゃないか!できるじゃん!」と大げさにほめちぎってくれた。
彼の「ほめて伸ばす」方式のおかげで、伝えようとする思いがまずは大切なんだなと学んだ。そして、このはじめてのアフリカ行きで、私のアフリカへの思いはさらに深まった。以来、お金を貯めてはアフリカへ行く生活を続けた。
もし○○していたらとか、していなかったらと考えることはあまりない人間なので、このとき、アフリカに行っていなかったらどうなっていたかということも、深く考えたことはない。ただ、遅かれ早かれ行っていただろうとは思う。
私はアフリカに行って救われたし、自分自身や人生が大きく変わった。もし最初に行くのがもっと遅ければ、いま現実になっていることが叶うのはもっと遅かっただろうし、出会えなかった人もたくさんいただろう。
そう考えると、23歳のあのときに行ったのは、やはり必然だったのかなと思う。あれから10年以上がたったいま、当時のことを思い返すと、「よく、あんなにも無謀なことをしたな」と思う。
さすがの私でも、いまとなってはできないというか、しないだろう。あのときは、危なっかしさはあったけれど、若さゆえの勢いもあったのはまちがいない。だから、行くべきところに行くには、勢いとタイミングというものが大事なんだなと思う。