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生き方

「他人を貶めることしかできない人」に共通する“親との関係”

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2020年05月29日 公開 2023年07月26日 更新

インターネットによる著名人への誹謗中傷が議論を読んでいる。そもそも他人を批判する人は、なぜそんな行動を取ってしまうのか? 自分の人生が正しいと思いつつも自分以外の誰かをけなしてしまうのは、親との心理的な関係に原因がある、加藤諦三氏は指摘する。

加藤諦三著『親離れできれば生きることは楽になる』では、他人の目を退け、自分の人生を取り戻すためには親からの心理的離乳が必要だと説いている。本稿では同書より、他人の価値観を否定してしまう人の内面を探った一説を紹介する。

※本稿は加藤諦三著『親離れできれば生きることは楽になる』より一部抜粋・編集したものです。

 

「自分は幸福である」と思い込もうとすると、言動は誇大になっていく

やっていることが楽しくなければ楽しくないほど、そこに意味や理想を求める。虚栄と利己主義と怠惰なる世界が社会人の世界、と私は言っていたことがある。

今いる世界をこれほどまでにたかめ、それ以外の世界をこれほどまでにけなすのは、自分の無価値感に打ち克つためであったと思われる。人間は心の底で本当に信じていないことを信じようとすると、言動が大袈裟になるのではないだろうか。

では、なぜ心の底でウソと思いつつ、それを信じようとするのか。それは劣等感等からであろう。他人に対する対抗意識である。心の底の底で信じていることを、意識のうえでも認めることは、傷ついた自我にとっては難しい。

それは自分の負けを認めることになるからである。心の底では自分の言っていること、やっていることがウソであると知っている。しかし、それをウソと認めてしまえば、他人に対して自分の偉大さを認めさせることができなくなる。

他人に対して対抗意識があると、実際の自分を自分が認められなくなる。私は青春時代、不幸だった。だからこそ、私は幸福だ、私は幸福だ、と自他に言いつづけたのだろう。

自分が不幸であるということを、いろいろな理由から認めることができなかった。ひとつの理由は深刻な劣等感であり、もうひとつは親からの心理的離乳がとげられていなかったからである。

自分の心の底にある感じ方と逆のことを言っている人間には、このような素直な眼がない。自然の感動がないと意識的に自分を感動させようとする。自分にも他人にも感動を見せようとする。

本当に感動していないのに感動しているフリをする。だから感動がわざとらしくて誇大なのである。そんな世界で生きる幸せがある筈がない。そうなれば意識的に幸せそうにする。

自分にも他人にも幸せであることを見せようとする。自然の幸福感がないのに幸福であると意識的に思おうとすると、その言動は誇大になる。愛情のない人間が、愛情を示そうとすると誇大になるのもこのためである。

もともとない愛情を、あると自分に納得させようとするのであるから、表現が誇大になる。親の誇大に表現された愛情に育てられた人間は、心の底に不信を持つであろう。

ウソの愛情に問題があるのではない。ウソの愛情を真実の愛情と信じなければならなかったところに問題があるのである。

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お客様意識から脱却できない人

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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