校長にも信用されず“不登校”に...ヨシダナギが歩む「逃げる人生」
2021年09月02日 公開 2024年12月16日 更新
フォトグラファーのヨシダナギさんは、5歳の頃に初めてアフリカ人をテレビで目にしてから、将来の夢は"アフリカ人になること"だったという。
現在の活躍ぶりから行動力のある人に見えるが、実は引っ込み思案で、中学時代はいじめをきっかけに不登校になり引きこもりがちな生活を送る。
そんなヨシダさんに転機が訪れたのは、憧れだったアフリカの地に足を踏み入れた23歳のとき。新著『しれっと逃げ出すための本。』では、学校に行くのから"逃げた"当時のことやアフリカを訪れたときのことを振り返る。
「学校に行かなくてよかった」と語るヨシダさんが、いま学校に行けずに苦しむ子たちに伝えたいことは。
※本稿は、ヨシダナギ 著『しれっと逃げ出すための本。』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
「あれ、私、いじめられてる?」
小学校4年生の夏休み、東京の江戸川区から千葉県に引っ越した。 どこの学校でも転入生というのはそれだけで目立つものだが、よりによって学年 で一番人気の男子から好意を寄せられ、それがきっかけで私はほかのクラスの女子たちからも嫌われる羽目になってしまった。
それからというもの、毎日夕方になると、「○○ちゃんがあなたのことウザいって言ってたよ」などといういらぬお知らせ電話がかかってくるようになった。
ある日の体育の授業のあと、着替えようと体操着袋に手を伸ばしたら、セミの死骸が入れられていたことがあった。さすがにこのときは、「あっ、やっぱり私いじめられてるのかも?」と思うにいたった。
それまでも無視されたり、仲間外れにされたりするような気配はうっすらと感じてはいたものの、どこかで気のせいだと思い込もうとしていたのだが、はっきりと嫌われていることに気がついてしまった。
いじめを受けていることを母に話すと、学校にも相談してくれたし、「学校に行かなくなったら負け」と私を励ましつづけてくれた。
「何も悪いことをしていないのに、ここで行かなくなったら、あなたをいじめている子たちの思うツボ。小学校を卒業して中学校に上がったら環境がリセットされる。それまでの我慢だから行きなさい」という母の言葉に背中を押され、小学校は通いきったが、中学校に入ると事態はさらに悪化した。
私をいじめていた子たちもそろって同じ中学校に上がり、別の小学校から来た子たちにも私の悪口を言いふらされたため、私を嫌う人の数はむしろ倍増した。根も葉もない噂がかけめぐり、学年の違う見知らぬ生徒にまで後ろ指をさされるようになった。
ついには、その噂を真に受けた校長先生に呼び出され、「あなた、ほんとうにそんなことやっているの?」と、してもいない悪行について問いただされたときは、だれにも信用されず、だれのことも信用できない虚無感に押しつぶされそうだった。
ちょうどそのころ、両親が離婚して、私は父親のもとで暮らすことになった。「学校に行かなくなったら負け」と、私の背中を押してくれていた母親がそばからいなくなったことで、これ以上我慢して学校に通う理由が私にはなくなった。そして中学2年生のとき、私は学校に行くのをやめた。その選択をしたことを後悔はしていない。
大人になったいま、だれかのキラキラした学校生活の思い出話を聞けば素直にいいなと思うし、もし自分がそんな青春時代を過ごせていたらどうだ ったんだろうと思うこともあるけれど、きっと私のこの性格では、あのまま学校に行っていても友達は増えなかっただろうし、大勢の人のなかにいることが苦痛でしかなかったはずなので、私自身に関していえば、行かなくてよかったのだと思っている。
もちろん、学校には、行けるのならば行ったほうがいい。いろいろなことを教えてくれるし、いろいろな人との出会いもあるし、青春を謳歌できる場所でもある。
だけど、行けないのならば無理して行く必要はない。学校に行くことがすべてではないし、違う道があるのだとも思う。登校拒否になった当初は、「学校に行け」「なんで行かないんだ」と親から責められることが、私にとってはいちばんつらいことだった。
学校に行かないのがよくないことくらいは、行けない本人がいちばんよくわかっているし、行けるものならば行っている。でも、そこを理解して共感してくれる人が、当時の私のまわりにはいなかった。
あのころの私のように、いまも学校に行けなくて苦しんでいる子はきっとたくさんいると思う。実際に学校に行くことをやめてここまで生きてきた人間としては、そういう子たちに、「学校がすべてじゃないよ」と伝えてあげたい。あのとき、そう言ってくれる人が身近にいたら、どれほど私は救われただろうか。