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生き方

「他人を見下したがる人」が最も恐れているものの正体

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年08月31日 公開 2024年12月16日 更新

人間は誰しも他人に嫌われたくない――しかし皮肉にも、その思いが強すぎると誰からも好かれないと加藤諦三氏は語る。「嫌われたくない人」に友達がいない本当の理由とは何か。

加藤諦三氏は著書『だれにでも「いい顔」をしてしまう人』の中で、人間関係に悩む方が「嫌われたくない症候群」を抜け出し、人生を充実させるためのアドバイスを送っている。本稿では「嫌われたくない人」の背景や心理を解説した一説を紹介する。

※本稿は、加藤諦三著『だれにでも「いい顔」をしてしまう人』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。

 

敵意に満ちた人間環境で育つと...

「嫌われたくない症候群」の人にとっては周囲の世界が敵なのである。「嫌われたくない症候群」の人にとって周囲の世界は敵意に満ちている。敵意に満ちた世界に身を置けば、だれだって周囲の世界が怖いのは当たり前である。では、なぜそうなってしまうのか。

自分がない人は、人から好かれることで自分という存在を感じる。自分で自分の価値を認めることができない人は、人に好かれることで自分の価値を感じる。そこで嫌われたくないから「実際の自分」を偽る。

私たちは人に気に入られるために、いま持つべき感情があると思っている。そのために、それと矛盾する感情を抑圧する。相手の好意が欲しいから、好きでないものを「好き」と言う。嬉しくないことを「わぁ、嬉しい」と言う。

そうして無理をしているあいだに日々怒りが心の底に堆積していく。本人はそれに気がつかないが、それは敵意となり憎しみとなっていく。そしてお互いに憎しみで絡み合う。孤独を恐れて実際の感情を偽ることの恐ろしさである。

彼らはその敵意を外化する。つまり自分の心の中に敵意があるのに、周囲の人が自分に敵意があると感じる。自分の心の中にあるものを周囲の人のなかに見ることを外化という。周囲の人が自分に敵意があると思ったら、嫌われるのは怖い。

「嫌われたくない症候群」の人は、自分の小さいころをふりかえってみてほしい。やさしい人間環境のなかで成長しただろうか――おそらく違うはずである。「嫌われたくない症候群」の人は、そうした隠された敵意に満ちた人間環境のなかで成長したのである。

 

他人と一緒に居ると居心地が悪い理由

「汝自身を人に示せ、そうすれば汝自身を知るだろう」という言葉がある。そう言われても人はなかなか自分を人に示せるものではない。人に嫌われるのが怖いから、ほんとうの自分を示すことが怖い。

嫌われることや、拒否されることを恐れて自分を隠していると、たしかにほんとうの自分がどんな自分であるか自分にもわからなくなる。嫌われることや拒否されることを恐れて、相手の意向に従順であるときには、相手に対して自分がどんな感情を持っているか本人にもわからなくなっている。

そして嫌われるのが怖くて、相手に合わせて従順な日々を送るなかで毎日少しずつ相手に対して敵意が蓄積されていく。ふつうは相手を好きだから拒否されることを恐れる。相手を好きだから嫌われることを恐れる。

しかし「嫌われたくない症候群」の人は、そうではない。嫌われることを恐れているからといって相手を好きだとはかぎらない。好意を持っているならその人といるときほんとうの自分とふれあい、気が楽に過ごせるはずである。

拒否されることや嫌われることを恐れている者は、他人といっしょにいても居心地が悪い。なんとなくその人といると疲れるというのは、やはり自分が気がついていない何かが自分の心の中にあるか、あるいは相手が何か心に問題を抱えているからである。

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他人への敵意が自分に向けられる悲劇

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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