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生き方

“安易なYES”の積み重ねがもたらす「一生の不幸」

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年09月14日 公開 2023年07月26日 更新

不幸に陥っている人の多くは、背負う必要のない重荷を"安易に"背負ってきた。これまで数々の人生相談を受けてきた加藤諦三氏はこのように語る。

一方、幸せになる人はその時々の選択で、楽なほうを選ばず、問題から逃げないという。この決定的な違いは何なのか。

加藤氏の著書『人生の重荷をプラスにする人、マイナスにする人』では、責任から逃れる人が送りがちな人生について解説している。

※本稿は、加藤諦三 著『人生の重荷をプラスにする人、マイナスにする人』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

悩んでいる人に共通しているのは、安易さである

実はあなたの今日の不幸の原因は十年間、二十年間のあなたの生き方の結果なのである。先見の明の欠如というと大袈裟かもしれない。安易に物事を引き受けるということである。

背負う必要のない重荷を背負ったということである。その仕事を引き受けた場合には、どんなことが起きるかを考えることなく、安易に仕事を引き受ける。

ちょうど子供が犬を飼う時のような安易さで、自分が背負うべき重荷を引き受けたのである。犬を飼えば自分の生活が変わる。旅行にはもう行かれなくなるかもしれない。犬を家において一泊旅行は無理である。もちろん日常生活そのものが変わる。またマンションを買おうとしている人は、それを諦めなければならないかもしれない。犬を飼うことを禁じているマンションは多い。

ある時にテレビで軽井沢の秋を映していた。たくさんの捨てられた犬の姿である。犬を飼うことを安易に考えている人々が、軽井沢の別荘の住人にたくさんいるということである。こうした人たちには犬を飼う資格がない、と当然のことをテレビは言っていた。

夏に軽井沢で犬を飼えば、そのことで自分の一生が変わる。都会のマンションを売らなければならないかもしれない。子供はそこまでなかなか考えられなくて、その場で犬が欲しければ犬を飼おうとしてしまう。そして安易に飼ってしまう。それを許す親の質の悪さである。

こうした安易さと同じ安易さが、燃え尽きた人にはあるのではないか。ある人にイエスと言うことが自分の一生を変えるかもしれないのである。それなのに安易にイエスと言う。その時から重荷が肩にかかる。

そして燃え尽きた時に、自分に重荷をもってきた人を恨む。しかし重荷を犬のように捨てるわけにはいかない。私は軽井沢で秋に都会に帰る時に犬を捨てるような人は、不幸な生涯を送るにちがいないと思っている。その生き方の安易さによってである。

だいたい悩んでいる人にはこの安易さが共通している。四十年間悩んでいる人に接してきて、つくづく思うのは、悩んでいる人はとにかく安易な生き方をしているということである。

私のところに悩んでいる人が手紙をくれる。何千通読んでも、何万通読んでも共通しているのはこの安易さである。その人の何十年の安易な生き方の積み重ねとして悩んでいるのに、何か一つのことでその悩みを解決しようと思っている。どこまでいっても自分の安易な生き方を改めようとしない。自分の悩みを解決できる魔法の杖を探している。

 

幸せになる人は"その時に楽なほう"を選ばない

人は、現在の苦しみの種を過去のどこかで蒔いている。そして種を蒔いた後も、日々それを大きな苦しみに育てているのである。そのことを反省しない限り、苦しみは死ぬまで続く。そして「オレの人生は苦しみばかりだった」と人を恨んで死ぬかもしれない。

恵まれている人を見て、「あの人はいいよ」というようなことを言う人がよくいる。しかしその人が今いいのは、今がいいように何十年か前に何かをしていたのである。そして何十年間そのように生きてきているのである。今、心安らかな人は、過去に虚勢を張って《いいところ》を見せようなどとしなかった。

悲惨な人生と比較的幸福な人生を分けるのは、案外単純なところにある。何でもないことに真の原因がある。八方美人のように誰にでも《いいところ》を見せようとする人は、まず間違いなく悲惨な人生になる。それに対して、無理して《いいところ》を見せようとしない人は、比較的幸福な人生を送るのではないだろうか。

よく「お金のある人はすぐにそういうことを言う。私にどうしろって言うのよ、これ以外にどうしようもないでしょう」というようなことを言う人がいる。そういう悩める人は、自分が何十年前に怠けていたことを棚に上げているのである。何十年前からきちんとした生活をしていれば、今はそれほどきつくないはずなのである。

何十年も収入に見合った生活をしないで、ブランド物を身につけて生活していたかもしれない。だとすれば、現在の経済的苦しさはその人の劣等感が原因である。

その収入に見合わない生活を続けていれば、いつか借金で首が回らなくなり、一切のゆとりがなくなる。「これ以外にどうしようもないでしょう」という今の生活になる。どんなことをしてもお金を稼ぎ出す以外に、生きる方法はなくなるだろう。

悩んでいる人は生活の規模を縮小しないで、サラ金に手を出すような生き方をしてきたのである。その場は楽だけれどもだんだん辛くなる。

人とのつき合いも同じである。その時に楽な人とつき合ってしまう。その時にお世辞を言う人は、長い目で見ればその人には害になる人である。そしていつか自分の周囲には誠意のある人はいなくなる。悩んでいる人は、たいてい人間関係がおかしい。

すべて、その時その時、その場その場で楽なほうを選んでしまうから、地獄への道をまっしぐらに進むことになってしまうのである。そして地獄に着いた時に、恵まれている人を見て、「あの人はいいよ」と言う。

幸せになる人は、その時に楽なほうを選ばない。その時に《いい顔》をしない。問題が起きたら逃げない。解決しようとする。その生き方の積み重ねで幸せになる。

不幸になる人はその時に楽なほうを選ぶ。その時に《いい顔》をする。問題が起きたら逃げる。解決しようとしない。その生き方の積み重ねで不幸になる。

【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。    

 

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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