人は小さい頃からさまざまな屈辱を味わう。そのために、社会的に成功して世の中を見返そうとする。しかしその劣等感を動機とした努力は、残念ながら人を救わない。社会的に成功していても、空虚な気持ちになるのは"劣等感"を燃料として努力してきたからである。
加藤諦三氏は著書『人生を後悔することになる人・ならない人』において、「成功していても幸せではない人の心理」について解説している。
※本稿は、加藤諦三著『人生を後悔することになる人・ならない人』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。
ワーカホリックもアルコール中毒も同じ
人間は他人に評価されたいと思うものである。しかしその思いに過剰にとらわれてしまう人がいる。なかには不安からワーカホリックになる人もいる。
仕事をしないではいられない。仕事をしていないと不安に直面してしまうからである。リラックスしたいけどリラックスできない。休んでいても休んでいない。不安を静める一つの方法は、熱狂的に活動しまくることである。
ワーカホリックの人は、自分は仕事熱心だと思っていることがある。社会もワーカホリックの人を、アルコール依存症のようには非難しない。でも実は、ワーカホリックもアルコール依存症も心理的には同じことである。
人は小さい頃からさまざまな屈辱を味わう。多くの人は、劣等感で心が傷ついている。その心の傷を癒やしたい。そのために、社会的に成功して世の中を見返そうとする。しかしその劣等感を動機とした努力は、残念ながら人を救わない。
世界中の人から賞賛を浴びても劣等感に苦しんでいる人がいる。世界的に有名なスターやセレブが、薬漬けになったり、自殺したりするが、ご存じの通り珍しくない。
不安な人は、業績は自分を救わないということをまずしっかりと認識することである。不幸になる努力をしている人は、不安から逃げている。業績を上げることに逃げている人の典型がワーカホリックである。そしてもちろん、やがて消耗して業績を上げられなくなる。
それでも不安から逃れるために仕事に執着し続ける。そして最後には燃え尽きる。業績を上げ続けていないと不安だから仕事を止められない。肉体的にはもうこれ以上仕事をしてはいけない、休まなければいけないと分かっていても、不安だから仕事を止められない。
今自分のしていることは自分にとって望ましくないと分かっていても、止めると不安に襲われるから止められない。自分にとって望ましいと頭で分かっていることをしようとすると不安になる。そして自分にとって望ましくないと分かっていることをしないではいられない。
しかもその仕事は辛い。決して楽しいことではない。それでも止められない。止めて不安に襲われるほうがこわいのである。
しかしワーカホリックもやがては社会的に挫折する。だから「自分は今心理的に病んでいるのだ」ということをまず自覚することである。自分の出来ないことをしようとして、無理するのは向上心ではなく劣等感がさせる行動である。
「典型的な幸せ」を得たはずなのに楽しくない
しがみついているのは、苦しみを避けたいから。心の葛藤に直面したくないから。本当は自己蔑視しているから、自己栄光化が必要なだけである。自己蔑視している自分に直面したくない。
ありのままの自分に失望しているから、みせかけの栄光にしがみついている。その自分についての否定的な感情を味わうことを避けるためには、栄光化された自己でなければならない。
心の底の底にある、自分についての実際の感情と直面することを避けるためには、理想化された自己像を現実化することにこだわらなければならない。
そういうわけで無理をしてブランドものを身につけ、有名会社にいることにこだわっているから、家族関係がおろそかになる。妻や子どもと上手くいかない。そして燃え尽き症候群になる。
消費社会は、消費する以外に、幸せになる方法を教えていない。結婚して子どもが二人いてと、消費社会の画一的なイメージにあった生活をしながらも、心の底では元気が出ない。無意識の領域では、今自分は生きる活力がないと感じている。
幸せなはずの生活をしながら、心はなぜか満たされない。満たされないどころか、悩んでいる。しかしなんで悩んでいるかが分からない。成長や苦しみなしに幸せになれる錯覚を与えたのが消費社会、消費文化である。しかし消費文化が与える幸せは幻想でしかない。
外側の環境に問題があるから不幸なのか、自分の心に問題があるから不幸なのかを間違える人は多い。それは消費文化に心が支配されている人である。そして心に問題があるのに、不幸の原因が外側の環境に問題があるからだと信じ続けてしまい、生涯幸せになれない人は多い