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生き方

ハンドルをつかんで涙ぐむ母...全財産はたいて買った「亡き父が愛したボルボ」

岸田奈美(作家)

2021年10月15日 公開 2024年07月04日 更新

 

これからまとまったお金が手に入るんですけど

これは大事件である。ボルボには車種がたくさんあるが、車いすの母が運転できるボルボは1種類しかない。人気のSUV型は座席が高く、車いすから乗り移れない。セダン型なら乗れるが、V60とV90は、横幅がデカすぎて、ふつうの駐車場の幅では、車いすを横づけするだけのスペースがとれない。

つまり、岸田家の選択肢は、V40だけ!
そのV40が!
生産……中止……!??!?!?!?!?!

『サザエさん』のエンディングテーマのフォーメーションに限りなく近いフォーメーションで、近場のボルボ屋さんにかけこんだ。メンバーは車いすの母、ノーメイクボッサボサの童顔娘、ダウン症の息子。

この3人がボロボロのフィットで店に乗りつけ「V40まだありますか」と、食い気味に話すので、最初はディーラーからあんまり相手にされなかった。お茶とか、なかなか出してもらえんかった。この忙しい休日の昼間に、冷やかしはやめてくれと思われていたはず。

やがて必死のわれわれに気づいたのか、山内さんという店員さんが、親身になって話をしてくれた。

「V40が生産中止って本当ですか!?」
「はい、V40はもう残ってるだけしかなくて。うちはあと1台ですね」
「ほ、本当にもうつくらないんですか?」
「うーん、最近はこの大きさの車があまり売れないので……つくらないと思います。他のメーカーも、続々と中止してますから」

生きてるうちにいつか、とかいうとる場合やない。もう一生、ボルボに乗れんかもしれんぞ。

「中古屋さんを探せば、まだあるかもしれませんが」
「前に一度、中古屋さんで買おうとしたら、車いすのための改造をするのがすごく大変で。部品の取り寄せとか、工場との連絡とかがうまくいかなくて」

母がしぶい顔を見せた。もちろん、ちゃんとやってくれる中古屋さんもあるはずだが、近所にたまたま信頼できるお店がなかった。

ちらっと、展示されている白いV40の値段を見た。420万円と書いてあった。
買えんわ。
「V40はもうこの1台限りなので、399万円までお値下げしますよ!」
買え……いや、買えんわ。

貯金をかき集めても、たりない。母は年収や他のしはらいとの兼ね合いで、399万円のローンは組めない。わたしはフリーランスになったばかりで、奨学金の返済もあり、東京での家賃10万円すら保証会社の審査を通らなかった。

終わりやんけ。

なにか、なにかないのか。一攫千金()を狙えないか。石油、温泉、埋蔵金、レアメタル、天然ガス。
「はっ!」
本の印税だ。

9月末に、本を出版したじゃないか。車代全額に満たないが、人生ではじめて手にした、まとまったお金だ。
まだふりこまれてないけど。

「あのう、これからまとまったお金が手に入るんですけど」
わたしは、山内さんに伝えた。

「まとまったお金……?」
「はい。それと、貯金とあわせたら、ギリギリたりそうです」
「えっ、まさか、キャッシュ一括ですか?」
「キャッシュ一括です」

店内の一角が、静かな騒然で満ちた。本当に大丈夫なのか、と母と山内さんに何度も聞き返されたけど、もうあとには引けなかった。

「無理したらあかんって。これからなにがあるかわからんねんから、大切に貯金しといた方が……」
母がおろおろしながらいった。

「くるかわからん非常事態のために置いとくより、いますぐ399万円分、家族が思いっきり楽しめる方がええ! いままで我慢してきてんから! お金はまたためる!」

啖呵(を切ったものの、いまだ手元にお金がないのに、気が大きくなっている一番あぶない人間のパターンである。

わたしが家族からもらった愛や経験をエッセイにして、手に入れた印税だ。それならば、父の愛したボルボを買いもどし(たつもりで新型を買い)、父のかわりに母を思い切り楽しませ、大好きな車で、胸をはって人生を謳歌()できるほうが。絶対にいい。

ほんまにやばくなっても、どうにかなる。そのためにいま、一生懸命、だれかを喜ばせることだけを考えて仕事をしとる。そのだれかが助けてくれる。たぶん。知らんけど。

こうして、岸田家はボルボを購入する書類にサインしたのだった。ちょっと見ただけのボルボを最速で購入した庶民ではなかろうか。

大喜びする母と弟を横目に、後日。山内さんからこんな連絡があった。

「あのう、岸田さん。お母さまが運転できるように、ボルボを改造する件ですが」
「工場が決まりました?」
「いえ、それが……ボルボの運転席を、障害のある人用に改造するという実績が、国内でほとんどないらしく……工場で断られまして」

えっ。

「ボルボは運転席の配線系統が国産車と違うので、それがネックみたいです」
「うそやろ……」

やっぱり、選択肢が少ない人生なんか。それは仕方ないんか。そう思ったとき、山内さんがいった。

「でも、僕、車いすのお客様と取引させてもらうのが、はじめてなんです。どうしても、岸田さんたちにV40を乗ってもらいたい。どうにかします」

どうにかしますとは、一体。えらいことになってしまった。しかしその3日後、彼は本当にどうにかしてくれた。

「1社だけ、改造してくれる工場さんが見つかりました!」

なんと、ボルボを縦横無尽に運転してもっていき、わざわざ工場に直談判()しに行ってくれたらしい。山内……おまえってやつは……!

「うわあーっ! ありがとうございます!」
「それで、改造の費用が少し高くなるみたいなんですけど」
「いたしかたなし!」

改造には自治体から補助金が10万円くらいもらえると聞いていた。

「52万円です!」
「ごっ……」

岸田家の全財産口座が、火をふいた。すべて消し炭になることを覚悟したが、ちょうど同時に雑誌へ寄稿していた原稿料が入って7万円残り、命拾いした。それも1週間後には家賃で消し炭になった。

 

父の愛したボルボで、いつか、あなたの街を走ります

納車の前に、改造を引き受けてくれた「ニッシン自動車工業関西」にて、改造を終えようとするボルボと対面した。

「こちら、お預かりしているボルボです」

ピカピカの真っ白い、わたしたちのボルボV40。ひときわ輝いて見えた。母はうれしさのあまり、両手をあわせて目を閉じ「祈り」のポーズをとりはじめた。

運転席のドアを開ける。ドアと、座席のちょうど間に、たて25センチ、横15センチくらいの折りたたみ式の板が取りつけられている。

たかが板、されど板。この板がないと、母は車いすから乗り移るときに、お尻を落ち着かせる場所がなく、地面へスッテンコロリンしてしまう。つまり終わる。

配線が邪魔で、ふつうは取りつけられないとどこの工場でも断られたこれを、ニッシン自動車工業関西のみなさんがなんとかかんとか取りつけてくれたのだ。

手で操作する、アクセルとブレーキも、ちゃんとある。

「どうぞ、一度乗ってみてください」

母が、車いすを横づけし、慣れない形状に少しとまどいながらも、コツをつかんだらヒョイッと運転席に乗り移る。パワースイッチで座席をたおし、ゴリラみたいに車いすをのせる。

「ああ……」

ハンドルをつかんで、母は泣いた。

浩二、見とるか?
あんたの代わりに、やったったぞ!みんなが味方してくれてんぞ!
浩二、見とるか?ボルボ売って、ごめんな???!!!!!!!

改造を引き受けてくれたニッシン自動車工業関西の山本社長が、またいい人で。

「こういう改造って大変じゃないですか? 車ごとにつくりも違うし」と、何気なく聞いてみたら。

「大変ですよ。家に帰って、ご飯食べてるときも、お風呂に入ってるときも、ずーっと改造のことばっかり考えてます」
「そんなに大変なのに、どうして引き受けてくださったんですか?」
「ぼくも、父親の足が悪くてね。車に乗れるだけで、行動できる範囲もグッと広がるし、本人の楽しみも増えるじゃないですか。だから引き受けました」

大切な人を思ってひねり出した新しい仕事が、また別の、大切なだれかを幸せにしているのだ。すべては、人を思う気持ちから、はじまっている。泣きそうになった。

「一番改造が大変だった車ってなんですか?」
「フェラーリですね。あれは……すごかった……どこに器具つけるかめちゃくちゃむずかしいのに、ちょっとでも傷つけると何千万円だし……こわかったなあ……」

そりゃあ、こわいわ。

改造を引き受けてくれた、ニッシン自動車工業関西のみなさん。工場を探して走りまわってくれた、ボルボの山内さん。わたしの本やnoteを買ってくれたみなさん。

大好きです。

あなたがたのおかげで、ボルボがうちへ来ました。わなかったかもしれない夢が、叶いました。いつか、あなたの街を走ります。父の愛したボルボで。

手に入れて、ようやくわかったことがある。

父は、ボルボがほしかったんじゃなくて。家族を楽しませたかったのだ。そのためなら、お金なんて、いくら使っても惜しくはなかったのだ。こだわることを、やめなかったのだ。たぶん、ね。

 

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