作家の岸田奈美さんは中2の頃に父親を心筋梗塞で亡くし、その3年後に母親が大病を患い手術を経験する。手術は無事に成功し、現在は車いす生活をしている。
今年3月、新型コロナが猛威を振るうなか母親が十数年ぶりに倒れた。岸田さんは入院することになった母親の代わりに、ダウン症の弟、もの忘れの激しくなった祖母が暮らす神戸の実家に帰ることに。
生活環境の変化に、降りかかる数々の問題。岸田さんの新著『もうあかんわ日記』(ライツ社)では、彼女がプラットフォームnoteに記録した「もうあかんわ」な出来事をエッセイとしてまとめている。
本稿では同書の中から、すぐに忘れてしまう祖母との間で起きた問題、岸田さん自身の葛藤が描かれた一説を紹介する。
※本稿は、岸田奈美 著『もうあかんわ日記』(ライツ社)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
想像できる"未来の日数"は人によって違う
今日は特にもうあかんし、書いてる方も読んでる方もモヤモヤするしんどい内容なので、元気で余裕があってつまらんボケにもツッコミできるくらい元気なときに読んでください。
弟の健康診断の結果が返ってきた。Cと書いてある。再検査だ。原因は肥満。
「ちょっとあんた! 太りすぎやって!」
あわてて弟に伝えるが、彼はキョトンとしている。
「太りすぎっていうのは、ええと、いろんな病気になるねん」
「うーん?」
それでもわからない。病気って、ピンからキリまであるもんね。
「ええと、あのな」
「うん」
「し、死ぬど!」
この状況で縁起でもなかったが、ここは火の玉ストレートを放つしかない。弟は絵に描いたように「ガビーン!」とした。 そして弟は、「いまからプールに行って泳ぐ!」とパニックになって準備を始める。
もう20時だ。待て待て待て、と今度はなだめるのが大変だった。人によって、想像できる未来の日数は、それぞれ違う。 弟の場合、だいたい1週間先の未来が限界だ。
それより先は、宇宙の果てのごとく謎に包まれている。 だから弟には、健康維持という発想がない。健康は、数年、数十年先の未来を想像できる人だけが考えるものだ。
弟ならせいぜい、来週の遠足に行けるよう、風邪をひかないように気をつけるくらい。
ばあちゃんが想像できる未来はもっと短い。きっかり1日。起きて、寝るまで。 朝何時に起きて、昼何時に食べて、夜何時に寝る。
その絶対的なルールを守ることだけが重要で、明日のことなんて考えられない。 だから冷蔵庫でわたしがつくり置きしているごはんはすべてその日のうちに食べるか、捨ててしまう。
わたしが〆切に追われて夜ふかしで仕事をしていると、なにがなんでも寝かせようと、電気を消してくる。夜19時以降にお風呂に入っても、怒ってガスの元栓を閉める。シャワーから突然、冷水が降り注ぐ。
"もの忘れがひどい"ばあちゃんからの愛
弟が太りすぎたのは、このばあちゃんとのコンボが原因だ。 5年ほど前から、母の仕事が急激に忙しく、人手も足りなくて全国を飛びまわりはじめ、ばあちゃんが留守中の家事を担うようになった。そこからだ。
「19時には寝なさい!」と、孫を布団まで追いかけまわし、ガミガミ言う。まだやることがあるからと説得すると、一度は自分の寝室に引っ込むが、5分後にはぽかんと忘れて、「なんで寝えへんねん!」と怒鳴り込んでくる。
電気もガスも消されるので、わたしと弟は、しぶしぶ布団に入る。わたしはタヌキ寝入りできるが、弟はけっこう寝落ちしてしまう。 毎日19時に寝ると、健全な成人男性はどうなるか。 深夜1時ごろに目が覚め、のっそりと起き出すのだ。
人は、寝ているときにわりとカロリーを消費するらしい。クマと同じだ。腹が減った 弟は、冷蔵庫を開けて、母が料理をつくれないときのために置いてある冷凍チャーハンや冷凍そばめしに手を出す。そりゃあ、太るわ。
一度、母が目撃して、弟を叱り飛ばした。すると次の晩からは忍び足でキッチンに向かい、チン! と音が鳴る寸前で電子レンジからチャーハンを取り出すという、間者の技を身につけていた。
それが積もり積もって、健康診断のC判定。 かつて、父は言った。「好きなもん我慢して長生きするんやったら、好きなもん食べまくって死んだ方がマシや!」と。
そしてチキン南蛮やUFOを浴びるほど食べていた。 それで健康だったなら、いい民話の1つにでもなりそうだが、父は39歳で心筋梗塞を起こして死んだ。とんでもねえ。例が極端すぎる。子が受け継いではいけない民話だ。 どっちかっていうと教訓だ。
22時とか23時に寝れば、途中で起きることはない。だけど、ばあちゃんは19時に寝ないと許してくれない。
それだけじゃない。すでに風呂に入ってる弟に「風呂に入れ!」とばあちゃんは何度も怒り、弟が入らずにいると、「あんたはなにもわからへん!」「耳聞こえてないんか!」とばあちゃんがヒートアップし、最終的には言ってはいけないことまで言う。
あまりにも言ってはいけないので、ここでは書けないが、なんというか、一部の年配世代がうっかり使ってしまう差別用語みたいなのも連発する。
わたしが「なんてことを言うねん!」と止めに入っても、すでに遅し。弟は悔し涙をいっぱい流し、地面をドスドス踏み鳴らして、自室に閉じこもる。弟の怒りは正しいと思う。 わたしだって、今日はしんどかった。
仕事で、人に送る荷物を段ボールに詰め、集配を待っていた。大きく張り紙で「さわらないで」と書き、リビングのホワイトボードにも残し、ばあちゃんに何度も「これは送るやつだから置いておいて」と口すっぱく言った。
1時間後、クロネコヤマトの人が来たら、その荷物はすべて取り出され、生ゴミと一緒に捨てられたり、戸棚の奥に詰め込まれたり、段ボールは解体されてベランダに投げられていた。ばあちゃんの仕業だ。
「張り紙に書いて、部屋に置いてたのに! なんで勝手に入って、触るん!?」
「うるさいな! ここはわたしの家やで」
うるさくないし、ここは母の家である。 でもそんなの、話してわかるもんじゃない。ばあちゃんに悪気はこれっぽちもない。 孫のためにわたしが世話してあげにゃという善意で動いている。わたしたちに向けられた愛だ。
もの忘れがひどいので、やったことも忘れている。言っても、わからない。 そして、そういうばあちゃんの事情を、弟はわからない。 もう、離すしかない。人を愛するとは、自分と相手を愛せる距離を探ることだ。
わたしはばあちゃんを愛している。だけど、このまま一緒に暮らしていたら、愛せない。だってばあちゃんは、わたしと弟を悲しませ、ばあちゃん自身も悲しませるのだから。怒りは悲しみと似てる。 忘れてしまうばあちゃんを、説得して変えることはできない。
実際、弟はグループホームの体験に2泊3日で行ってみたら、食事も睡眠も、リズムが整ったのだ。栄養士さんがつくるごはんを食べて、ぐっすり寝て、みんなで散歩に行っている。
「家に帰りたくない」と電話がかかってきたくらい。こりゃいい。問題は、ばあちゃん。