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生き方

「気ままなその日暮らしから一転、20代で大腸ガンに」どん底を支えた保護犬との絆

ベン・ムーン(著),岩崎晋也(訳)

2021年12月20日 公開 2022年01月17日 更新

 

ガンとの闘いの始まり

「あの?」ぼくは尋ねた。「悪性腫瘍が見つかりました」遠くから容赦のない声が聞こえた。

「あなたは直腸ガンです。一刻も早く超音波検査をして、腫瘍がどのステージまで進んでいるかを調べなくてはなりません。検査はここでもできますが、あなたの若さと、かなり進行していることを考えると、ポートランドのオレゴン健康科学大学で検査されることをお勧めします。その後、あなたがこの病院で今後どのような治療をしていくかを、さらに詳しい検査をもとに決める必要があります」

ぼくの腸のなかでは激しい戦いが繰りひろげられていて、それがついに無視できないほどにひどくなっていたのだった。かなりひどい症状だったにもかかわらず、ぼくは一年以上も言い訳を見つけては病院で診療を受けることを拒んでいた。あやうく命を落とすところだった。

 

闘病中も常に寄り添ってくれたデナリ

目を開き、セント・チャールズ癌センターの病室がゆっくりと視界に入ってくると、手術助手でクライミング仲間でもあるアジーン先生がベッドサイドに静かにすわっていた。彼はぼくの上に身を乗りだし、手術は大成功だったと言った。

直腸の腫瘍だけでなく、炎症を起こす寸前だった虫垂も切除し、ヘルニアも摘出したと教えてくれた。

不思議なくらい痛みもなかったので、ぼくは楽天的になり、友人たちに電話やメールで連絡した。〈パタゴニア〉の写真部門にも電話をかけ、ジェフ・ジョンソン(当時は社内の写真家だったが、その後、ドキュメンタリー映画『180゜SOUTH/ワンエイティ・サウス』に出演して有名になった)と話をした。手術は成功だった、最高の気分だと伝えた。

だがそれは長く続かなかった。局部麻酔が切れたとたん、すべての感覚が一挙にやってきた。あまりの痛さにすわっても立ってもいられない。しかも長時間の開腹手術のせいで筋肉が弱っていた。痛みはあまりに強烈で、精神状態もすぐに悪くなっていった。

そこに、デナリが入ってきた。母と看護師がこっそり病室に入れてくれたのだった。デナリはぼくから視線を離さず、もう絶対にそばを離れないと訴えているようだった。ベッドのわきに横になり、しっぽをゆっくりとタイルの床に打ちつけた。ぼくをじっと見て、おいでと言われるのを待っている。

「もちろんいつだってぼくの隣に来てくれていいんだよ」

ぼくは声をかけ、手を叩いてデナリを呼びよせた。デナリは点滴の管や酸素濃度計をよけてそっとシーツの上に乗った。それから心配そうに、もっとそばに寄ってもいいかと尋ねるかのようにぼくの顔をうかがった。

近くにおいでと言うと、ゆっくりと動き、ぼくのわきでそっと身を丸めた。このときと同じ気づかいを、デナリはそのあと数か月のあいだに数えきれないほど見せた。それは言葉にできないほどの愛と支えだった。

二度の手術から回復し、腫瘍はなくなったが、いちばんつらい治療はまだ残っていた。切除した場所のまわりにガン細胞が残らないように、8回の集中的な化学療法を受けなければならない。

化学療法を受けたあと、いちばんつらいのは2日目から4日目だ。血管に入った化学物質が最も重い副作用をもたらすからだ。装着している携帯用ポンプを通じて、最初の2日間に二度目の投与が行われる。それは10分おきに音を立て、残酷なほどの正確さで体内に薬物を送りこむ。

吐き気がしてみじめな気分になり、制吐剤や医療用大麻の助けを借りてどうにか過ごす化学療法の2日目から4日目までのあいだは、とてもひどい状態だった。デナリはその様子をじっと見守っていた。

人と接するだけのエネルギーがないとき、一緒にいられるのはデナリだけだった。気分があまりに悪く、話すことすらできないときも、デナリは何時間もぼくに寄り添い、寝る時間になるまでごはんをあげ忘れていても、昼間から何時間も眠ってしまっても、気にしているそぶりを見せなかった。

これが犬の愛のすばらしさだと思う。デナリはぼくに何も求めようとせず、毎日ぼくのつらさをスポンジのように吸収し、受けとめてくれ、いつでも愛し支えてくれた。

ガンになって身体的に最も困難だったのは、人工肛門を形成して、ストーマ袋をつけたことだった。ストーマ袋をつけるのは自己イメージの面でも、日々の排便という面でもなかなか慣れることができなかった。

いつも、それに遠くへ旅行する場合はなおさら、ストーマ用具を忘れてはいけない。気を抜くと、恥ずかしい事故が起こるかもしれない。手術を受けたとたん、ぼくは暴れる消化器を静かにさせる方法を学ばなければならなくなった。それにはこれまでの経験はまるで役に立たなかった。

心理的な影響は、さらに大きかった。手術のあと半年くらいは、シャワーを浴びるときにカーテンを閉めて体の変化を見ないようにしていた。反対の壁にかかった鏡に変わり果てた自分の体が映っているのは耐えられなかった。

この不慣れな袋に対応するまでには、いろいろなことが起きた。ぼくはよく、自分の体さえ思いどおりにできない幼年期に退行してしまったような気がした。部屋を汚してしまったときは、泣きそうになりながら自尊心を押し殺して掃除した。

そんなときは、ぼくを見るデナリの目が輝いているように思えた。

――たいしたことじゃない。ずっとぼくのうんちを始末してきたじゃないか。

人前で腹を出すと袋を見られてしまうのではないかと恐れて、ぼくは股上の深いジーンズでウエストを隠すようになった。

シャツを脱いでクライミングをするときはハーネスで隠せたが、ほんとうに警戒心を解いて安心できるのはひとりのときか、デナリと一緒にいるときだけだった。デナリはぼくが不安なときも落ち着いて、ただそこにいてくれた。ぼくを支え、安心させるように優しく寄り添ってくれた。

信じられないことだが、ほんの少しのあいだ静かにデナリに触れているだけで不安は消えた。そういう時間があったからこそ、ぼくは自分を哀れまず、生きていく自信をもう一度手に入れることができた。

 

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