武藤敬司の"悪の化身"であるグレート・ムタは、これまで様々なタイプのレスラーと対戦し、そのたびに悪の限りを尽くしてきた。新日本プロレス時代には"燃える闘魂"アントニオ猪木、"超人"ハルク・ホーガンという超大物とも激突。歴史に残るビッグカードの裏側をムタの代理人・武藤が振り返る。
※本稿は、武藤敬司・著『グレート・ムタ伝』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
“悪の化身”グレート・ムタ vs “超人”ハルク・ホーガン
ムタに大きな舞台が用意された。1993年5月3日の福岡ドーム大会で、あのハルク・ホーガンとのシングルマッチが組まれたんだよ。
当時、俺はあまり意識していなかったんだけど、この時期のホーガンはWWF世界ヘビー級チャンピオンなんだよな。本来なら、WCWと提携している新日本プロレスのリングには上がれないと思うんだよ。
でも、ホーガンは特例で自由に動けたみたいでね。ホーガンと親しかったマサ斎藤さんやタイガー服部さんといった人たちが交渉力を発揮して連れてきたんだよ。
結構、ギャラもかかっていると思う。WWFはSWSと業務提携していたけど、そのSWSが前年に崩壊したから、その隙を突いての契約だったらしい。まあ、マサさんとホーガンが友人関係だったというのが大きいと思うよ。それを考えると凄い人だったよな、マサさんは。
ホーガンとは、これがほぼ初対面だった。厳密には、若手の頃にホーガンが来日して一回だけ会ったことはある。でも、猪木さんとの試合で暴動が起きた時だったからね。それに向こうは、デビュー前の新弟子のことなんか憶えていなかっただろうしさ。
ホーガンの相手に選ばれた理由は「信用」
なぜホーガンの相手にムタが選ばれたかというと、ハッキリ言ってしまえば、これも「信用」だろうね。橋本真也みたいなデタラメな奴が相手だったら、おそらくホーガンも断っているよ。ムタだからこそ、ホーガンの相手ができたんだと思う。
こっちとしても、ホーガンの相手ができるなんて光栄だよ。あの人のアメリカでのステータスは、本当に超トップクラスだからね。
試合に関しても、ホーガンは日本でやる時は日本流に合わせてくる。この時は序盤で基本的なレスリングの攻防をやったけど、あんな動きはアメリカではやらないからな。というよりも、アメリカではああいうレスリングをしなくても試合が成立してしまうから、やる必要もないんだ。
ところで、ホーガンと試合をした福岡ドームでは照明を設置するための縄梯子がそのまま出しっぱなしになっていた。俺は会場入りして、すぐにこの縄梯子に目をつけてね。
実はスタッフに「そのままにしておいて」と頼んでおいたんだよ。試合の中でこれを使って、ターザン殺法をやるイメージが湧いたからね。こういう物を利用するのがムタ流の戦い方なんだ。
ホーガンとの試合を振り返ると、改めてプロレスは面白いなと思うよ。初対面同士の人間が縄梯子を使った攻防をするなんて、普通じゃ考えられないだろう。言葉も交わしたことがない2人で、この攻防を作り上げるわけだからね。
俺はこの試合で、ホーガンの信用を勝ち取ったと確信している。この後、9月26日の大阪城ホール大会では武藤敬司としてもシングルマッチをやってね。ホーガンと肌を合わせたことは、俺の財産だよ。