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生き方

「この人と自分は違う」 持病、父親の暴言に苦しんだ漫才作家が体得した、悩まない生き方

本多正識(漫才作家、NSC講師)

2025年03月17日 公開 2025年03月18日 更新

「この人と自分は違う」 持病、父親の暴言に苦しんだ漫才作家が体得した、悩まない生き方

漫才作家であり、NSC講師として長年ご活躍されている本多正識さん。教え子には、ナインティナインやフットボールアワー、かまいたちなど、いまも売れ続ける芸人さんたちが名を連ねます。

本多さんは子どもの頃、重度の気管支喘息を患い、高校時代には心臓発作で倒れ7年にわたる病院と自宅での療養生活を送られていたといいます。また、父親からの今で言う"DV"にも苦しみ、25歳でご実家を出るまで「早くここから出たい」と思い続けていたと話します。

そんな大変な状況の中でも「生きたい、生きてやる」と思っていた本多さん。その生き方には、若者からお年寄りまで、悩みに振り回されずに生きるヒントが詰まっているかもしれません。

 

病気、過酷な親子関係でも「生きてやる」と思っていた

――ご著書『笑おうね 生きようね』の中では、お父様からの言葉の暴力や、ご両親の絶えない夫婦喧嘩で、家に居るのが嫌で自分の殻に閉じこもっていたとありました。ご病気もありながら、でもとにかく生きようと思っていらっしゃったのですよね。その「生きたい」という気持ちはどこから来ていたと思いますか?

【本多】他の子たちと比べることはしませんでしたが、みんなが楽しそうにしている世界があるんだから、自分も生きていればそんな世界にたどり着けるかもしれない。そう思っていましたね。

そして実際に漫才に出会えて救われましたから。だから、今はその自分を助けてくれた漫才に対して、できる限り還元・恩返ししようと思っています。

――高校2年生の夏に心臓発作で倒れてしまい、17歳から25歳にかけて7年間ちょっとの療養生活を送られたそうですね。

【本多】最初の1年3ヶ月は入院して、その後は自宅療養でした。20歳で漫才台本をラジオに初めて送るまでの期間は、相変わらず親父からの罵倒も続き、本当に希望も何もない、ただ生きているだけの日々でした。

でも「生きてやる」と思っていました。不思議とネガティブにはならなかったですね。

――生きることが大変だったはずなのに、執着ともとれるほどに、生きることにこだわりをお持ちのように思います。

【本多】死ぬこと自体は怖くないんですよ。でも、死なずにいたら、もっと楽しいことが自分にもあるかもしれへんっていうのが、いつもどっかにありました。

いまでもいつ死ぬかわかんないですから。これが最後の仕事になるかもしれないし、いつも仕事するときはこれが最後の仕事だと思ってます。

17歳で倒れた当初、将来のことなんて全然考えられませんでした。というか、そんな余裕もなかったですね。動けなかったし、退院しても家から一歩も出られなかったし。そんな状態が6年くらい続いたんです。

考える余裕なんてなかったので、とにかくその日を必死に生きることしかできなかった。それを親父から見たら、ダラダラしてるように思えたのかもしれないけど...。自分の中では精一杯やってたんです。

ご飯を食べることさえ必死でした。ご飯が食べられるって、私には当たり前のことじゃなかったんです。倒れたときなんて、何週間も何も食べられなくて、点滴だけで生きてましたね。体重も65キロくらいあったのが、30キロ台まで落ちて、ほぼ骨と皮だけの状態になりました。毎日点滴を4本打って、それでどうにか生きながらえてたんですよね。

だから、ご飯が食べられるってめっちゃありがたいことなんです。もう感謝しかないですもん。美味しいお米を作ってくれてありがとうございますっていつも思います。外では声に出さないけど、ちゃんと手を合わせて「いただきます」「ごちそうさまでした」って必ずやります。

一人じゃ絶対生きていけませんからね。たまに「誰の力も借りずに一人で生きる」って言う子がいるけど、「何を言うてんねん」って思います。コンビニで買い物してるなら、その商品を作ってる人がいるわけで、そういう人たちのおかげで成り立ってるんですよ。

結局、みんな関わり合いながら生かしてもらってるんです。だから、私が生きてる間に少しでも何かを還元できたら、誰かの役に立てたらっていう気持ちが一番ですね。

 

とにかく働けるのが嬉しかった

――最近は「毒親」なんてことも言われますが、子供時代に親から酷い扱いを受けると、大人になってからも心にどこか傷や不安を抱えやすくなるといいます。本多先生は、そうした心の問題に直面したことはありましたか?

【本多】生きることに必死で、そんなことを考える余裕がなかったというのが正直なところです。大人になってから、本当にありがたいことに、漫才で食べさせてもらえるようになった。

プロになってからはいろんな方と出会って、そのたびに助けて頂いたおかげで仕事もどんどん増えていきました。長い間動けなかった反動があったかもしれませんが、とにかく「仕事がしたい!」という気持ちが強かったですね。金銭的な理由というよりも、元気になって動けるようになったからとにかく働きたかったんです。

本当にその日その日を全力でやるだけでした。多いときは年間600本くらい仕事してましたね。テレビ、ラジオ、漫才の台本、新喜劇の台本、舞台の構成とかを入れて、500〜600本くらい。3年くらい1日も休みがなかったこともありますし、大晦日まで仕事して、そのまま元旦が仕事始めということも何度もありました。

――お身体が弱かったと思えないほど、働かれていますね...

【本多】動けなかった時期があったからこそ、動けることが嬉しくて、喜びの方が勝ってました。

52歳で脳梗塞で倒れたときに、主治医の先生に「これまでどんな生活してたの?」って聞かれて答えたら、「そりゃ倒れるわ」って言われましたね(笑)。25年間の平均睡眠時間が4時間くらいでしたから。

スケジュールも1ヶ月の予定が全部埋まるのが楽しみで、どんどん仕事を入れてました。土日も関係なく、ひと月まるまる真っ黒でしたから。でも「今月も来月も仕事がある!」って思えるのが嬉しくてしかたなかったんですよね。

そんなふうに働いてたんで、悩んでいる暇なんてなかったんだと思います。

 

「ああこの人、ほんまはこんな人やったんやな」

――お忙しく働かれてるその間、ご両親とは会っていらっしゃったんですか?

【本多】地元を出てからは、ほとんど家にも帰ってないですね。

――『笑おうね 生きようね』の中にある、お父様が認知症になり亡くなられるまでのエピソードがすごく印象的でした。

【本多】そのとき初めて、親父とちゃんと向き合えたんですよね。10年ほど前、親父は認知症になり、2017年頃に他界しました。認知症で母のことも他の家族のことももうわからなくなってたけど、私のことだけはわかったみたいで。

施設に会いに行くと、あの無茶苦茶言っていた親父が優しい目で「発作出てへんか? 大丈夫か?」って言ってくれたんです。そのとき、「ああこの人、ほんまはこんな人やったんやな」って、なんか許せてしまったんですよね。

最後まできつい言葉をぶつけられてたら、そのままのイメージで終わってたと思うんですよ。でも、会いに行くたびに「発作は大丈夫か?」って気にかけてくれて、そんなやりとりが忘れられないですね。涙が出ました。

「なんでこんな親父、お袋やねん」って思ったことがあっても、結局この二人がいなかったら私はいないわけですから。最終的には感謝しかないんですよね。自分が存在してるのは、親がいるから。おじいちゃん、おばあちゃん、もっと言えばご先祖様がいるからこそなんで、やっぱり感謝せなあかんのやなって思います。

 

「親と自分は違う人間」だと認識することが大切

――まるでドラマのような出来事ですね...。今、親子関係で悩んでいる人にアドバイスをするとしたら、何とお伝えしますか?

【本多】無理に「仲良くしよう!」って頑張る必要はないんですよ。親子でも考え方なんて全然違うし、中には似てる人もいるかもしれないけど、結局は別の人間ですからね。自分じゃない誰かを思い通りにしようなんて、そんなの無理です。仲良くしなあかんって頑張るとしんどくなるし。私自身も、ただただ「ここから出たい!」っていう気持ちしかなかったですからね。

結局、大事なのは「この人は自分とは違う人なんや」って認識することやと思うんですよ。例えば犬が突然走り出したり、物をひっくり返したりしたら、「何してんねん!」って思うけど、本気で怒る人なんていないでしょう? だって犬や猫がやることですから。

もちろん、人を犬や猫と一緒にするのは失礼ですけど、でも本質的には同じやと思うんです。自分とは違うから、怒らなくていいし、無理に自分の常識を押し付ける必要もない。そう思えたら、めちゃくちゃ楽になりますよ。

私も昔は悩みましたけど、小学生の途中から「この人と自分は違うんや」って勝手に思うようになってました。

――お気づきになるのが早いですね...!

めちゃくちゃ嫌な子どもやったと思いますけど(笑)。親父は船乗りで、1年ぶりに帰ってきたら外国のお土産をどっさり持ってきてくれるんです。でも、ほとんど喜んだ記憶がないんですよ。「何やっても喜ばへん子や」って言われたのを覚えています(笑)。

なんか冷めてる子どもでした。「喜んだ方がええねんな」って冷静に思ってました。だって、小学生のときに一番喋ってたのが、お医者さんと看護師さんですからね。同級生と遊ぶ時間より、病院の人と話す時間の方が長かったんですよ。

学校でも「保健室行ってこい」って言われることが多かったですけど、私は保健室が好きでした。大人と話す方が楽やったんですね。

まわりの子が「どこ行く?」とか「何する?」って楽しそうに話してるのを見て、「うらやましいな」と思うと、しんどいんですね。「なんで俺はできないんや」って責めることになるから。

その頃から「自分とほかの人は違うんや」って思い込ませていました。小学4、5年生以降、一度も人を「うらやましい」と思ったことがないんですよ。

「この才能すごいな」とかはありますよ?でも「うらやましい」っていう感情は一切ない。だって、そもそも違うんですもん。

 

まずは目の前のことを一生懸命やること

――ご病気だったからこそ、自分と他人の境界をはっきりさせられたということでしょうか。

【本多】病気になった「おかげ」ですね。病気したおかげで、人の痛みもそれなりにわかるし、少しは周りに優しく生きてこられたかなとは思います。

しんどい思いをするのは自分だけじゃないし、みんなそれぞれ大変なことを抱えてる。だから、できることを一生懸命やるしかない。何もせんと「しんどいねん」って言うだけじゃなんも変わらへん。とりあえず、何でも一生懸命やってたら、きっといいことがあると思ってます。

芸人から、なかなか売れへんって相談をもらうんです。でも、売れた子と比べたら練習量が全然違うんですよ。「あの人はラッキーやな」って言うけど、ラッキーと違う、やるだけのことやってる。もちろん運もあるとは思いますけど、それだけじゃない。

イチローさんも「天才」って言われるのが嫌いやって言ってましたよね。「努力した結果、何かができるようになる人のことを『天才』というのなら、僕はそうだと思う」って言ってましたけど、本当にそうやと思います。

売れへんとか、上手くいかないとか悩んでる人も、まずは目の前のことを一生懸命やること。それからしか始まりません。

――何かに悩んでいる人はまず目の前のことに集中してみる、ということですね。

【本多】食べることもそうやし、仕事もそう。とりあえず一生懸命やってたら、その先のことを考える余裕も出てくる。

最近はすぐに会社を辞める人も多いそうですね。別に「我慢せい」とは言いません。自分が潰れるまでやらなくてもいい。ただ、せっかく仕事に就いたなら、できる限りのことはやってみたほうがいいと思うんですよね。

やる前から「自分には何もできひん」とか「なんでこんな仕事せなあかんねん」って愚痴ばっかり言う人もいますけど、「まず、やりなさい」って思います。本当にシンプルなことやと思います。

私の仕事も、面白いものが書けなくなったら終わり。企画が出せなくなったら、仕事がなくなる。だから、勉強もせなあかんし、ニュースも人より見なあかんし、本も読まなあかん。でも好きやから苦じゃないんです。

今、悩んでる人も、まずは目の前のことを一生懸命やってほしい。きっと変わると思います。

昭和51年頃、『俺たちの朝』ってドラマがあったんですよ。勝野洋さんが主演の。その番組の最後に散文詩が出てきて、「人に何と言われようと、人生は自分のもの。気にしない、気にしない」って言葉があったんです。それがめっちゃ刺さりました。

だから、私がサインを書くときは、「あなたの人生の主人公はあなた自身です。どんなときも感謝を忘れず、一生懸命頑張りましょう」って添えるんです。

「私なんて...」って思ってる若い子も多いと思います。でも、みんなそれぞれが主人公なんですよ。

あなたは世界中にひとりしかいない奇跡の人なんです!

そう思えれば、投げやりにならず、前向きに生きられるのではないでしょうか。

(取材・執筆:PHPオンライン編集部 片平奈々子)

 

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著者紹介

本多正識(ほんだ・まさのり)

漫才作家、吉本興業NSC講師

1958年、大阪府生まれ。オール阪神・巨人の漫才台本をはじめ、テレビ、ラジオ、新喜劇などの台本を数多く執筆。90年には吉本興業NSCの講師に就任。これまでに担当した生徒の数は1万人を超え、ナインティナイン、中川家、キングコング、かまいたちなどを指導した。近年は自身の体験も踏まえ、著書などで子どもたちに「いじめの無い、笑いのある未来を」というメッセージを発信している。

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