2023年のM-1王者、令和ロマン。決勝初出場にして4本のネタを準備していた髙比良くるまさんの「戦略」は大きく話題を呼びました。
そんなくるまさんは、11月8日に初の著書『漫才過剰考察』(辰巳出版刊)を上梓しました。独自の視点で漫才やM-1について考え尽くした一冊で、収録された霜降り明星・粗品さんとの対談も読みどころの一つです。
本の冒頭でコロナ禍でお笑いができなくなったことに触れていますが、その当時について改めて聞くと「とにかく心が貧しかった」と心の内を語ってくれました。
「運命」だとずっと思ってる
――くるまさんはご自身を"運命論者"だと語られているのを他のメディアで拝見しました。2023年のM-1で優勝されたのも運命だったと考えますか。それとも、くるまさんならではの戦略が功を奏したのしょうか。
M-1優勝に関してはどちらかと言えば運命寄りですかね。もちろん元々決勝には進みたくて、その上でもっとこうしたら大会が盛り上がるな、と戦略的に考えたこともうまくいきました。ただ、優勝しようとは思ってなかったので「しちゃった」という印象でした。だからこれは運命だったのかなと。
――他に、人生のなかで"運命"を感じたことは何かありますか?
例えば、コロナ禍でお笑いの活動が全て止まっちゃって仕事がなくて、周りはYouTubeとかTikTokとかそれぞれ頑張っていたと思うんですけど、僕はあんまり自分でやりたいことがなくて。
絶望してる状態で、なんとなく受けた4年前のNHK新人お笑い大賞で急に優勝したんです。でも、嚙み合ってないんですよ、当時の努力や自分自身のコンディションと。親知らずが爆発して口が指一本分しか開かないからゆっくり喋ってたんですけど、それでも優勝した。その瞬間、「何かしなきゃいけないのかな、漫才に対して何かしなきゃいけないのかな」って運命めいたものを感じたんです。
本の冒頭でも書いていますけど、人生の所々で「これは運命だ」って、割とずっと思ってますよ。
お笑いができないときは、心が貧しいだけだった
――コロナで活動ができない中で、先ほど話題にあった親知らずのことだったり、ずっと体調がすぐれなかったと本でも語られていました。当時の心と体の状態を振り返るといかがですか?
もう最悪じゃないですか。そのときは一番詰んでましたね。もうやることないじゃんって。
僕には積み重ねたものが何もないから勝負の場がないと生きていけないのに、コロナで勝負の場を奪われちゃったから、今さら豊かに生きていけないよって。みんな幸せでいいなって思ってました、心から。
元々M-1のような賞レースにとらわれず、やりたいことをやってた芸人さんたちは好きなことをやり始めたじゃないですか。シェアハウスのYouTubeを始めたりとか。「いいなあ、みんなやりたいことがあって」みたいな。
大きく見ればそれもネットやテレビの世界における勝負なんですけどね。でも僕はそんなに先々のプランを立てられないんで。目の前のちっちゃい勝負しかできないから、劇場出番がないとか、M-1ができるかわからないとか言われたら、どうしようもなかったですね。
――くるまさんが最も必要としてきた「勝負」が目の前からなくなってしまったんですね。
そうですね。もう心が貧しいだけでした。
僕は東京の良いところと良くないところが組み合わさったような人間なんです。自分のことを「ミスター東京」だと思ってるんですよ。即時的で、即物的で、それでもって根無し草でルーツがなくて。東京の寂しいところ、楽しいところがいっぱい入ってるんです。
地元にも愛着がないですし。それは地元が練馬だからというのもあると思います。下町でもないし都心でもないし、言うほど田舎じゃないし、池袋に行ったら負けるし...みたいな本当に中庸な存在で。
でも、だからなのか同様にどっちつかずの状態に置かれて悩んでいる人からの支持が、僕には結構あるんですよ。お手紙を頂くこともあります。そういう悩みを持ってる人が日本にはいっぱいいるんですね。少し前までは一億総中流社会みたいに言われてましたけど、それはそれでしんどいですよね。
「俺は貧乏人から叩き上げて頑張ってきた」って言われたら、すごいねって褒めるし、「一家で代々帝王学を大切にしてきた」って言われれば、そうはなれないなって思う。中間でぼんやり生きてきちゃった人生に、一つ"勝負"というのがあると、生きがいじゃないですけど、なんか、せめてやってられますよね。
それに何か巨大な流れとか、縛りがあった世代ではないので。全員で何かしろって強制してもらった方が、僕はまだラクに生きてこられたんじゃないかって。
――私もくるまさんと同世代なのでわかります...ゆとり世代という名の通り、ゆるゆるここまで来てしまった感覚が...
本当に強制ってラクですよね、もっとしてほしかったですよね。バブル景気とかに飲み込まれたかったですよね。そしたら何かわかんないけど、歩く歩道に乗ったように人生が前に進んでいったと思うんです。でも、なかったですよね。ずっとプラプラ歩くしかなかった。
――コロナでお笑いができなくなりどん底の中、NHK新人お笑い大賞で優勝されたと先ほどお話しいただきました。もしその優勝がなかったらどうなっていたと思いますか?
お笑いをやめてました、多分。ワンチャン死んでたかもしれないですね。結構それぐらい訳わかんない状態だったんですよ。
やめなかったにしても漫才をやる必要がなくなっていたので、コンビは解散してたかもしれないです。意味わかんなくなっちゃってたんですよ、そのときは。それぐらいの状態でしたね。
ストレスが溜まらない理由
――M-1に加え、ABCお笑いグランプリ(ABCテレビ)でも優勝されて、現在は様々なお仕事に引っ張りだこだと思います。お忙しい中でリフレッシュしたり、そもそもストレスを溜めない工夫は何かありますか?
ストレスは溜まらないんです。日々新しい仕事で新しい人に会っているので。初対面の人に会うのって最高なんですよね。
同じ人とずっといると段々嫌な部分が見えてくるじゃないですか。よく「人の良いところを見ましょう」って教訓的に言われるけど、そもそも初対面のときはそれが絶対できるはずなんですよ。でも長く過ごしているうちに、相手の変なところが見えてくるからストレスも溜まる。
僕は職場が決まってないし、毎日違う場所にいるので、皆さんよりは全然ストレスはないと思います。
――確かに会社のように毎日同じ場所に同じメンバーで居ると、どうしてもお互いに嫌な部分がわかってイライラすることがありますね。
そうですよね。しかも僕らは移動するので、旅行する機会がなくても大阪に行ったり福岡に行ったり、今度は北海道にも行ったりするんで、マジで十分なんです。
さらに有難いことに、賞レースで優勝したことによって芸人だけじゃなくいろんな業種の人に会えるようになったんです。いろんな業種の友達が増えると、めっちゃ豊かになりますよね。
「世の中にはいろんな人がいる」って言葉では理解してても、やっぱり現実に目の当たりにしないとそう強く思えないじゃないですか。今僕たちのいる環境は、本当にいろんな人に会えるのですごいですよ。例えば映画のプロデューサーに俳優、ミュージシャンや漫画家に仕事で会えるのはラッキーだと思ってるんですよね。
――たくさんの人と会うのは、元々苦ではないんですか?
元々そんなに人と会っていなかったので、だからかもしれないですね。会いたかったのかもしれないです、人に。
一人っ子だったし、別に地元の付き合いは希薄で地域のお祭りとかそういうのもなかった。中高一貫の私立中学を受験したから地元を離れちゃったし。とにかく帰属する場所が何もなかったんです。
だからこそ、常に他者との関わりを求めてきたし、大学生のときも所属するサークル以外の東大や早稲田のサークルのいろんな人と仲良くしてました。それはなんかあると思います。だから人に会うのは苦じゃないし、そういうのが逆に楽しいんです。
(取材・編集=PHPオンライン編集部 片平奈々子)