
(写真提供:やなせスタジオ)
やなせたかしさんは、「アンパンマン」が大ヒットするまで、代表作がないことに悩んでいました。初めて「アンパンマン」という名前の作品を雑誌『PHP』で発表したのは、50歳のときでしたが、それ以前は本業の漫画をもっと描きたくても、仕事がなく苦しんだそうです。インタビューでは、ピンチを切り抜けてこそ、良いアイデアが生まれるものだと語られていました。
※本稿は、やなせたかし著『何のために生まれてきたの?』(PHP文庫)より内容を一部抜粋・編集したものです
漫画的精神を支えに
――漫画家になりたいと思っていても、なかなかそちらの仕事がうまく展開していかなかったわけですよね。その時、焦る気持ちというのは?
それはありましたね。その当時はラジオの構成をやったり、ラジオドラマを書いたり。ちょうどその頃始まったテレビの台本も書いたり、いろいろな仕事をしていたんで、収入そのものはあったんですけど、僕の本職は漫画家なんです。ですから、漫画をもうちょっと描きたいという思いがあって。その時期は、やはりつらかったですよ。家族は、収入がそこそこあったので、全然何とも思わなかったらしいけど、本人は、何か、寂しいという感じがいつもしていました。
そして、漫画家っていうのは、何かしら自分の代表作がないと、認められないんですよ。いろんな絵を描いているというだけじゃダメで。手塚治虫なら『鉄腕アトム』、さいとう・たかをなら『ゴルゴ13』というふうに、何か自分のアイデンティティーがあるものがないとダメなんですね。
でもね、その困った時に、どう切り抜けるかというのが、一種の漫画なんです。どういうことかっていうと、漫画っていうのは、一つのピンチを切り抜けることがギャグになり、アイディアになる。
それが自分の人生でできないとすれば、それは本当の漫画家じゃない。だから、何かがあった場合、どうやって切り抜けるか、どうしていくか、というのを考えていくわけです。
――苦しい時、そこからどうやって抜け出すかというアイディアがなければいけないっていうことですね。
そうです。そうして本当は、それが面白いんです。例えば、山へ登る人は、その辺の誰もが登るような山にスーッと登って面白いかっていうと、面白くないわけです。難所といわれるような山を苦心惨憺(くしんさんたん)して登るからこそ面白い。
だから僕たちの仕事というのも、難しい、難しい、難しいって、苦心惨憺しながらやって、そこを抜けた時に快感があるっていうか、面白いんですよ。ですから非常に難しい仕事がきた場合は、大変ですけれど、うれしいわけで。これは僕じゃなくちゃできないかもしれない、と思ってやるんです。イージーな仕事っていうのは、案外面白くない。これは誰でもそうじゃないかな。
――面白がれる心があるか、っていうことですか?
ええ、そうなんです。困難な状況になった時、それをどう切り抜けるかを考えていくのが面白い。焦る気持ちは一方にあったけど、つらくても挫折はしなかった。ただ、その期間がちょっと長すぎるなあ、とは思っていたんだけども......。