「人間の能力を決めるのは遺伝か、環境か」という議論がある。しかし、進化生物学の第一人者である長谷川眞理子氏は、この論争はまったく的外れだという。どういうことなのか、最新研究をもとに解説する。
※本稿は、長谷川眞理子著『美しく残酷なヒトの本性』(PHP新書)より内容を一部抜粋・編集したものです。
ヒトの身体にはすべて遺伝的基盤がある
遺伝と環境の関係とは、個人が示すさまざまな性質にどんな遺伝的基盤があるのかないのか、その人が育つ環境によって性質がどのように変化するのか、という話だ。
私自身は、この問題よりも、ヒトという生物がもつ普遍的な性質、つまり普遍的な人間性に興味を抱いている。本当はそちらに話をもっていきたいのだが、まずは、古くて新しい問題である、「遺伝か環境か」の問題をあらためて整理しておきたい。
いまの私たちは、ヒトという生物をつくり出す全情報を読み解いてしまった。ヒトの遺伝情報は、染色体の中のDNAという分子に並んだ、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の4つの塩基で書かれている。全DNAに収められた塩基配列の総数はおよそ30億個。そのなかで「遺伝子」と呼べるものは、およそ2万個あるらしい。
この情報をもとにヒトがつくり出されるのだから、ヒトのやることのすべては、この遺伝子の働きを出発点にしている。遺伝子がなければ、私たちが無から何かをつくり出すことはできない。私たちは腕の代わりに翼を生やすことはできないし、石油を消化することもできない。そうさせる遺伝子をもっていないからだ。
同様に、行動も脳の働きも含めて、私たちの身体に関わるすべての性質には遺伝的基盤がある。
しかし、これは、私たちがやることのすべてが遺伝子で決まっているという意味ではない。たとえば、「相対性理論を考える遺伝子」というものはない。「生物分類をする遺伝子」もない。遺伝子は全部でたった2万個ほどしかないのだから。
ただし、私たちの脳には、漠然とアナログで量を捉える働きや、物事の推移を理解し、因果関係として学習する基盤はある。ものをカテゴリー化し、似たようなものをまとめる、という基盤もある。そのような基盤的能力には遺伝子が関係しており、それらがもとになって、物理学も生物学もできているのだ。
ヒトの能力に大きな影響を与える「好み」と周囲の「賞賛」
また、近年の遺伝子の解明でわかってきたことの1つに、エピジェネティックな変化というものがある。昔は、遺伝子があればすなわち、その遺伝子の情報が読み取られ、性質がつくり出されるのだと考えられていた。
しかし、どうもそれだけではないらしい。遺伝子はあっても、その働きを制御する機構が別にあり、胎児から始まってそのヒトが育っていく環境のあり方により、遺伝子の働きがオンになったり、オフになったりすることがあるのだ。これをエピジェネティックな変化と呼ぶ。
たとえば、ある酵素をつくる遺伝子のタイプが2つあったとして、一方のタイプをもつ人は、育つ環境が厳しかった場合には、攻撃的な行動が高まりやすくなる、というようなことがある。もう片方のタイプでは、そういう関係は見られない。こんなことが、遺伝と環境の相互作用と呼ばれるものの正体なのだろう。
遺伝か環境かという問いで、暗黙のうちに皆が考えているのは、いろいろな「能力」のことに違いない。ピアノが弾ける、サッカーができる、数学ができる、語学ができる、などの才能の話だ。もって生まれた才能があることは誰も否定しないが、では、環境が良ければどれだけ上達するのだろう?
サッカーが上手かどうか、数学の成績が良いかなど、外から見てわかる結果は、パフォーマンスである。ここで重要なのは、個人のパフォーマンスはどんな要素で成り立っているのか、である。その人が本当にどれだけサッカーができるのか、数学ができるのかの純粋な「能力」に影響を与える遺伝子はあるのだろう。
しかし、パフォーマンスは、純粋にこのような遺伝的能力の現れなどではまったくない。パフォーマンスがどうかには、「好み」が大いに関係している。
そもそも身体を動かすのが嫌いな性格なら、サッカーはやりたくないだろう。いろいろな記号などを操作し、厳密な論を組み立てることに美しさを感じるよりも、色彩の美しさに目がいってしまうようなら、潜在的に能力があったとしても、数学を極めたいとは思わないだろう。
好みには、じつにさまざまな気質、性格、感覚の違いが関わってくる。これが、本人が何をやりたいと思うかに強く影響する。「遺伝」と言ったときには、ここまで入ってくる。
そして最後に、パフォーマンスに大きな影響を与えているのが、環境と周囲からの賞賛である。サッカーというものを知らない社会で育てば、サッカーはできない。また、それがある社会であっても、サッカーで上手なプレイをすることをまったく褒めてもらえない環境では、やる気が失せてしまう。数学ができても、そんなことをしていないで鶏の世話でもしなさいと言われていたのでは、才能を伸ばせないだろう。
しかし、このあたりは複雑だ。万有引力の法則を発見したことで有名な英国の数学者、物理学者のアイザック・ニュートンには、数学の能力はたしかにあった。しかし、ニュートンの家は農家をやっている郷士だったようで、母親は、彼に農家の仕事を手伝わせようとした。つまり、数学などの思弁的な考察には何の賞賛もせず、農家の仕事を手伝ったときに褒めていたのだ。
ところが、彼は農家仕事にはまったく興味を示さず、怒られても怒鳴られても、好きなことだけしていたらしい。最終的には、親戚が彼を理解して研究に専念できる環境にしてくれた。だから、「好み・適性」と「周囲からの賞賛」がどのように働くかは、人によりけりなのだろう。
遺伝か環境かという問いの答えは、こんなにも複雑なのだ。遺伝論が保守で環境論がリベラルだなんて、まったく的外れとしか言いようがない。








