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近江商人はなぜ東海道ではなく、中山道を歩いたのか?ー日本史に学ぶ「イノベーション」 

2018年11月27日 公開

童門冬二 (作家)

近江商人

<<100年先を見据えて、永続性を保ちかつ時流を捉えた柔軟な企業経営の在り方を研究する「PHP「地域百年企業」経営者倶楽部」にて、作家の童門冬二氏の講演が開催された。

童門氏は日本史におけるイノベーティブな事例から、その後、長きに渡って繁栄を続けた組織や枠組みを紹介し、聴衆である経営者に大きな示唆を与えた。本記事ではその一部を紹介する。>>

※本稿は2018年4月にPHP総研にて開催された「PHP「地域百年企業」経営者倶楽部 「百年の計」の要諦を考える」での講演の一部を抜粋・編集したものです

 

品物ばかりか「情報」まで届けた近江商人

近江商人といえば、「三方よし」の商売で知られています。
「自分よし、相手よし、世間よし」という考え方です。ここでいう「自分」というのは、いってみれば企業のことであり、相手というのはお客さんのことです。

すなわち企業が儲かり、お客は適正価格でよい品物を得られる、すると、世の中もよくなっていく。三方よしを実現すれば、結果として、企業は永続的な繁栄を遂げることになるでしょう。

三方よしを実行するため、近江商人は何をしたのでしょうか。近江商人の商法の主体はまず、行商ですが、行き先をインフラが行き渡った地域を「選ばなかった」点に、近江商人の特徴があります。

逆に、不便な地域をねらい撃ちにして、新しいニーズを開発していきました。それも群れをつくらず極力、企業単位で行動していく。そうしてコーポレート・アイデンティティを生み、育て、保全していきました。

近江商人は東海道という往来の激しい物流ルートをほとんど活用しませんでした。かわりに中山道という、山と谷が多く、どこへ行くのにも非常に苦労するルートを選んでいる。

彼の本拠は滋賀県にあります。そこから天秤棒を担ぎ、険しい中山道を克服しながら、主に西よりも東へ、北へと向かっていきました。ですから東北のほうに近江商人の痕跡がたくさん残っています。

さて、そういう不便なところへいくと、品物だけではなく「情報」を欲しがる客が多いわけです。近江は都に近いものですから、付加的なサービスとして、中央の情報を商品と一緒に届けるようになりました。

品物を届けるにあたっては、事前の調査が非常に行き渡っていました。
自分たちの企業経営に役立つと思えば、あらゆる職業、あらゆる階層の人たちを招いて話を聞きました。

元禄2年から1年半かけて「奥の細道」を歩いた松尾芭蕉を招いて「東北のほうをお歩きになって、我々の商売に役立つようなお話はございませんか」などと聞いたこともあります。

そうすると、福島から一歩向こうに入ると木綿ができない、お茶の葉が育たない、みかんも育たないといった話を聞くことができる。つまり東北ではそういった品物に需要があるということです。

近江商人は、自分たちが本来やるべきマーケティングを、全国を歩いた芭蕉に肩代わりしてもらった。こうした情報をもとに品物の見本をつくるから、顧客をつかめるというわけなんですね。

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近江商人は、商品を売って得たお金を現地で使い切る >



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