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近江商人はなぜ東海道ではなく、中山道を歩いたのか?ー日本史に学ぶ「イノベーション」 

2018年11月27日 公開

童門冬二 (作家)

ヒット商品、会津塗の誕生にも貢献

氏郷は続いて、かつて伊達政宗が治めていた会津の黒川に城を与えられました。ここでも氏郷は地名変更を行いました。黒川を若松に変え、当時「杉妻(すぎのめ)」と呼んでいた地域全体を福島に変えました。

このことも松坂と同じで、もともと黒川にいた黒川商人と、日野と伊勢からやってきた松坂商人の両方に意識改革を呼びかけたのです。

松坂商人になった日野商人は日野名産の漆器を持っていきました。
はじめは日野碗と呼ばれていましたが、氏郷の指示で会津塗と名前をかえて新たな名産品として売り出すとこれが当たり、非常に喜ばれたと言われています。ですから今、会津で売られている木工品の原型は日野に由来しているのです。

蒲生氏郷の活動は、官民協働の最たるものといえると思います。残念ながら氏郷は、秀吉から突然京都に呼びだされた後、6〜7割方の定説では「毒まんじゅうを食わされた」とされているのですが、40歳にして生を終えました。

歴史はままならないものですが、本来なら、信長の後継者は、信長の教えと、近江商人の「三方よし」を身につけていた氏郷であるべきだったと、私は思います。



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