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社会

ご遺骨収集で抱いた「日本人としての誇り」

野口健(アルピニスト/富士山レンジャー名誉隊長)

2010年08月23日 公開 2022年11月02日 更新

国内の分裂を乗り越えた「オールジャパン」をめざす

 記事は、「空援隊の収集した遺骨にフィリピン人の骨が混じっている」疑いがあると、空援隊を批判したものだった。たしかに、日本人以外の骨が混じる可能性は、100%否定できない。だが、これは空援隊以前の遺骨収集でも考えられたことだった。

 また、空援隊の新しいシステムにより、遺骨収集に大きな成果が出たのは事実。より多くのご遺骨を日本に帰還させることを第一に考え、問題が出てきたらその都度、改善しながら進むことが重要だと思うが、この批判記事は、その流れに逆行するように思えてならなかった。

 この一件は、日本がいつも陥る象徴的なパターンだ。どういうことかというと、日本はある問題で海外に対して一致団結して臨まねばならないとき、いつも国内で分裂をしてしまうということ。靖国問題、領土問題、慰安婦問題なども同様で、たとえばめざすところは同じはずの保守派すら、そのなかで分裂してしまうことがある。これが日本の弱さである。

 遺骨収集に関していえば、空援隊と、遺族会・戦友会が対立してしまい、それが批判記事となって現れてしまった。対立を生んだ理由は、空援隊が抱えた疑惑と別に、主導権・利権争いがあったかもしれない。

 繰り返しになるが、遺骨収集活動は1970年代以降、国家事業としては行なわれず、国民からも忘れられた存在だった。そのため私や空援隊は、何よりもまず、できるだけ多くの日本人に事実を知ってもらおうと、あらゆる場で発言を繰り返してきた。

 たとえば空援隊は五十数名の国会議員から支援をいただいており、空援隊会長は社民党の阿部知子氏である。これを「空援隊会長に社民党の人間を選んだのは、保守層でない人たちも入りやすいようにと考えているのではないか」、さらに「主導権を握るためにメディアで影響力のある野口健を引っ張ってきているのではないか」と、うがった見方をされたりもした。空援隊を快く思わない方たちがいたのは事実で、いつか批判が出ることは覚悟していた。

 それが表に出た週刊誌の件で私が最重要視したのは、まずは疑惑に対して説明責任を果たすことだった。空援隊の活動には、ご遺骨基金による寄付金や税金が含まれている。そうである以上、疑惑に対し、事実関係をきちんと説明するべきだと思っていた。

 しかし、私が4月のヒマラヤでのキャラバンを開始した直後、報じられた疑惑に対する空援隊の公式見解が私のもとに届いた。理事の一人である私が、事前に把握していなかった公式見解――。私は書かれてある言葉を何度も読み返して、呆然とした。

 私は「厚労省と共同で記者会見または説明会を行なうべき」と思っていたが、空援隊の公式見解では「法的に有効である場合に限って、記者会見や告訴という方法論により最低限の対応や対処をする必要があるが、逆にいえば、それ以外は黙殺する以外にはない」とのこと。

 さらに、遺族会や戦友会、他のNPO団体との連携、つまり遺骨収集の「オールジャパン構想」について、公式見解では「(他団体との)摩擦は避けられないし、その摩擦を雑音として、結果だけを追い求める以外に正攻法はない」と明記されていた。空援隊に再度確認したら、「オールジャパンはありえない」との返答だった。

 私は自分が正しくて空援隊が間違っているというつもりはない。ただ互いに、どうしても譲れない一線というものがある。私の信念は、「社会的な活動を行なう際は説明責任を果たすべき」、また「他団体との連携も大切」ということだ。空援隊とは、最も大切なポイントで互いに譲れなかったのだ。だから、私は空援隊を辞める決意をした(2010年5月)。

 遺骨収集にはもう時間がない。おそらくあと数年で、実際に戦争を経験した方の生の情報が途絶え、収集活動はいちだんと難しくなるだろう。国内の組織同士で争っている場合ではなく、いち早く「オールジャパン」で取り組むことが必要だと思っている。そして、遺骨収集活動に空援隊の活躍は不可欠だとも思っている。今後も、協力の方法を模索しながら、私なりに精一杯取り組んでいくつもりだ。

 たしかに現実には、「オールジャパン」への道のりは遠いかもしれない。組織同士の対立を別にしても、国内には戦後、遺骨収集を口にすれば「右翼ではないか」とどこか色眼鏡でみられる風潮があり、そういった空気はいまも残っているからだ。

 教育現場ではその傾向が強く、遺骨収集は「戦争に行った人を大事にすること」であり、「先の大戦の美化につながる」として嫌悪する人たちが、たしかにいる。私が小中学校での講演で遺骨収集の話をすると、あからさまに嫌な顔をする先生がいるし、「あの戦争の話は余計でしたね」と校長先生に直接いわれることもある。とくに日教組勢力が強い地域はそうだ。

 ただ最近は、一般の国民が遺骨収集に無関心にみえたのは、けっして避けているからではなく、実情を知らなかったのだということがわかってきた。通常の講演会でも、遺骨収集の話を始めると、観客の空気がグッと変わる。また講演を聴いた多くの方が、応援の手紙を寄せてくださる。2009年8月、産経新聞社主催で日本初の遺骨収集シンポジウムが行なわれたが、定員数1200名の大ホールに入りきらないほど応募が殺到した。

 さらに、私がまだ空援隊に所属していた2009年に遺骨収集基金を立ち上げたのだが、そこにあるご婦人が500万円を寄付してくださった。御礼に伺うと、さぞかし豪邸にお住まいなのだろうと思ったら、小さなお家で、じつに質素な暮らしをされている。その方がこうおっしゃった。

「私はもう先が長くない。あなたの遺骨収集の記事を読んで、日本兵の骨がいまだに散乱しているという事実にショックを受けました。私のお金は天国にもっていけないので、ぜひ使ってほしい」

 先のご婦人は戦没者遺族ではない。一人の日本人として、そのように行動されたのだ。遺骨収集に対して同じ思いをもつ日本人が、きっと日本中にいるはずである。

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