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なぜ日野富子は「金の亡者」になったのか?

2019年12月03日 公開

大村大次郎(評論家・元国税調査官)

お局

※本稿は、大村大次郎著『土地と財産」で読み解く日本史』より、一部を抜粋編集したものです。
 

日野富子はそれほど悪女ではない?

応仁の乱が語られるとき、必ず登場する悪女がいる。

日野富子である。

日野富子は、応仁の乱が起きた当時の将軍である足利義政の正室である。

応仁の乱のきっかけとなったとされる将軍の後継問題において、足利義尚、足利義視の二人の将軍候補は、どちらも日野富子と深い関係を持っていた。足利義尚は富子の実子であり、足利義視は富子の妹の夫(つまり富子の義弟にあたる)なのである。

足利義政と日野富子の夫妻には、長い間、男子が生まれなかった。最初にできた男子は、生後間もなく夭逝してしまった。そのため、足利義政夫妻は、義政の弟の足利義視を次の将軍にしようと考えた。日野富子は、その際に自分の妹を次期将軍の足利義視に娶らせたのだ。

が、義視が後継将軍に決まってから、日野富子が男子を出産した。その男子が足利義尚である。自分の実子を将軍にしたいと思った日野富子は、次期将軍に内定していた足利義視を排斥しようとした。そのことが、応仁の乱のきっかけになったとされているのだ。

しかも日野富子は、金の亡者であり、七万貫もの大金を幕府の御倉にため込み、それをほかの武将などに貸し付けて利を得ていたとされる。

このため日野富子は、「金の亡者」「悪女」というレッテルを貼られ、「日本三大悪女」に挙げられることもある。

しかし、日野富子は実はそれほど悪女ではない。

というより、日野富子の存在ほど、室町幕府の財政力の弱さを象徴しているものはないのである。日野富子は好き好んで金の亡者になったわけではなく、金の亡者にならざるを得なかったのだ。なぜならば、室町幕府の財政力があまりに弱く、時局に対する発言力がなかった。幕府の発言力を高めるには財力を高めるしかなかったのだ。

日野富子の実家の日野家は、幕府の財政官的な仕事をしていた。

そして日野家は資産家でもあり、銭一万疋を土倉に貸したり、五十貫文を公方御倉である正実奏運に貸したりしている。公方御倉とは、幕府の財産が納められているところである。

御料所からの収入、守護たちの献上品、段銭(田畑の一段「一反」あたりに課せられる臨時税)、酒屋土倉役などの国内からの歳入、勘合符(勘合貿易で用いられた割符)や交易品などもここに納められていた。

この公方御倉に金を貸すということは、日野家がそれだけ足利家と深い関係にあるということでもあり、また幕府の金が不足していたということでもある。

この実家の影響から、日野富子自身も財テクに関心があったと思われる。また足利将軍家としても日野富子を正室にしたのは、日野家の財政力が要因の一つだったと考えられる。

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日野富子は室町幕府の脆弱な財政の象徴だ >



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