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第56代・清和天皇への皇位継承と摂関政治のはじまり

2020年02月14日 公開

吉重丈夫

平安神宮

「令和」という新時代を迎え、歴代天皇の事績をふりかえります。今回は清和天皇をお届けします。

※各天皇の年齢等については数え年で計算して記しています。
※即位年、在位年数などについては、先帝から譲位を受けられた日(受禅日)を基準としています。
※本稿は、吉重丈夫著『皇位継承事典』(PHPエディターズグループ)より、一部を抜粋編集したものです。

皇位継承事典
 

第56代・清和天皇

世系37、即位9歳、在位19年、宝算31歳

皇紀1510年= 嘉祥3年(850年)3月25日、文徳天皇の第四皇子として藤原良房邸で誕生された惟仁親王で、母は藤原良房の娘・明子である。

良房は冬嗣(北家)の次男である。嵯峨天皇の皇女が臣籍降下され、源潔姫として良房の妻となり、この二人の間に生まれた娘が明子である。

誕生したこの年11月、第一皇子の惟喬親王(7歳、母は紀静子)、第二皇子の惟条親王(これえだしんのう、5歳、母は紀静子)、第三皇子の惟彦親王(1歳、母は滋野奥子)と3人の異母兄がおられたが、良房を外祖父とする惟仁親王が生後8ヶ月で立太子される。

これまでおよそ考えられないことであったが、母が良房の娘で、惟仁親王が良房の外孫であることから、良房の権勢により生まれた皇位継承であった。また惟仁親王(清和天皇)の母方の祖母が嵯峨天皇の皇女の源清姫であったことも影響している。

皇紀1517年=斉衡4年(857年)2月19日、外祖父の藤原良房が太政大臣宣下を受ける。

尚この時は先帝・文徳天皇の御世である。

良房が太政大臣宣下を受けた翌皇紀1518年=天安2年8月27日、先帝・文徳天皇が崩御される。

この年天安2年11月7日、惟仁親王(清和天皇)が文徳天皇の崩御を受け、9歳で即位される。

先帝・文徳天皇崩御から2ヶ月半後のことであった。やはり年齢のこともあって異母兄の第一皇子・惟喬親王や第二皇子・惟条親王の即位が議論されたのであろう。その意味では惟仁親王の即位はすんなりとはいかなかったようである。

良房は外祖父として太政大臣のまま摂政宣下を受ける。良房が皇族以外で初めて摂政の座に就いた。即位された天皇がまだ9歳であるから、当然摂政が必要であった。こうして良房は摂政になって藤原北家全盛時代を築き、以後良房の子孫が相次いで摂政、関白、内覧に就くようになる。摂関政治の始まりである。なお、内覧とは天皇に奉る文書や、天皇が裁可される文書などの一切を最初に見る立場にあり、天皇に一番近い位置にいる人という意味で、絶大な権力を持った。

天安3年4月15日、元号が貞観に改元される。

皇紀1519年=貞観元年(859年)11月16日、大嘗祭を催行される。

皇紀1524年=貞観6年、天皇が15歳となられ、藤原良房が摂政を辞した。

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