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栃木の小大名が幕府から厚遇されていた理由…下野・喜連川に受け継がれた「足利の血脈」



2021年01月23日 公開

早見俊(作家)

喜連川にかかわる足利家歴代の墓所がある龍光寺(写真提供:栃木県さくら市)
喜連川にかかわる足利家歴代の墓所がある龍光寺(写真提供:栃木県さくら市)

足利氏といえば、下野国の発祥であるが、江戸時代、同じ下野国に小藩として、その血脈が残っていたのをご存じだろうか。

喜連川藩──。鎌倉公方家の流れを汲むこの家は、いかに生まれたのか、そして、その後どうなったのかを紹介する。

※本稿は、『歴史街道』2021年2月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

老中就任・十万石への加増を断った名門の裔

栃木県さくら市は県下中東部に位置し、平成17年(2005)、塩谷郡氏家町、喜連川町が合併して誕生した。二つの町の内、喜連川町は江戸時代、喜連川家という特異な大名家が治めていた。

喜連川藩は石高5千石の小藩だった。三代将軍徳川家光の世、大名の基準は1万石以上とされた。従って石高からすれば、大名とは呼べない高級旗本並である。

ところが、家格は十万石の国持格、累代の当主は四品格の待遇を受け、御所号が許されてもいた。御所は源頼朝以来、征夷大将軍を指し、隠居した将軍は大御所と呼ばれる。

一介の小大名に対する尊称ではない。喜連川藩は江戸幕府創立以来、将軍の客分として遇された。このため、諸役と参勤交代の義務はなかった。

喜連川家がこのような特異な地位にあったのは、鎌倉公方以来の足利家嫡流の血筋ゆえである。喜連川家が江戸時代の大名となるまでの歴史は後述するとして、まずは江戸時代の喜連川藩について記す。

尚、喜連川藩の歴代藩主は、初代頼氏から聡氏までの十二代であるが、喜連川家では江戸幕府成立以前の藩主国朝(頼氏の兄)を初代と数える。本稿ではそれを尊重する。

筆者は、八代藩主恵氏を主人公とするシリーズ物時代小説を書いた。隠居した恵氏が江戸屋敷で暮らし、世直しや様々な事件を解決する架空の物語である。筆者が恵氏を主人公に据えたのは、喜連川家の特異性と恵氏の個性にひかれたからだ。

恵氏は聡明さゆえ、老中松平定信から老中就任を要請されて、十万石への加増を持ちかけられる。しかし、恵氏は一蹴した。足利家は天皇の臣下であり、徳川家の家来ではない、というのが断った理由だった。

恵氏は数え39歳という若さで隠居した。まだまだ働き盛り、幕府に媚びない恵氏は、時代小説の主人公にうってつけだと、筆者は主人公にしたのだった。

恵氏の孫、十代煕氏も名君の誉が高く、領民の暮らしに気を配り、人材育成のため藩校を作った。飢饉に際しては陣屋の蔵を開いて領民に米を供給し、一人の餓死者も出さなかった。

江戸時代を通じて喜連川藩では大規模な一揆は起きず、盗難や殺人などの犯罪も滅多になかったそうだ。

5千石の小藩が領内を安定させ、領民の暮らしに気配りができた理由は、参勤交代にあった。喜連川宿は奥州街道では宇都宮、白河に次いで賑わっていた。参勤交代の大名行列が落とす金は莫大、特に仙台藩伊達家は3500人もの大人数で、喜連川藩にとっては上得意だった。

ために喜連川家中の者たちは仙台様、伊達様と有難がっていた。それを耳にした煕氏は、家臣たちに「様」ではなく「殿」と呼べと命じた。足利家の末裔たる喜連川家が諸大名を、「様」などと呼ぶなというわけだ。

こうした足利家末裔の誇りを、筆者は取材でさくら市を訪れた際に目の当たりにした。さくら市役所の職員の方に案内してもらい、喜連川家の菩提寺龍光寺を参詣、御住職の好意で恵氏直筆の巻物を拝見できた。

広げると3メートルにも及ぶ巻物には、足利尊氏から恵氏に至る系図が記してあった。その達筆さと文字の大きさが寸分違わない正確さに、思わず背筋が伸びた。巻物からは、喜連川藩の足利家嫡流という誇りがひしひしと伝わってきた。

境内には喜連川家歴代当主の御廟所があり、御堂が構えられている。御堂には足利尊氏の木像が安置してあり、右横に侍るようにして恵氏の木像もある。

これほどに、喜連川家歴代当主が足利家嫡流を誇りとしたのは、過ぎし世への郷愁、あるいは徳川将軍家や諸大名への強がりばかりではない。喜連川藩成立に至るまでの苦難の歴史を忘れないためだ。では、喜連川藩成立の歴史を振り返る。

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絶体絶命の窮地に陥るも古河公方として再興 >



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