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原発事故によって避難を余儀なくされた人たちの「今」 〈2〉

2016年02月17日 公開
2023年01月12日 更新

藻谷浩介(日本総合研究所主席研究員)

 

[福島大学]
県内唯一の国立大学としての取り組み

 福島大学は1学年1,000人ほどの国立大学。福島県は、人口は約193万人で全国20位、面積は北海道と岩手県に次いで3位だが、県内にある国立大学は福島大学しかない。場所は、福島市内ではあるが、中心部から外れた松川地域にある。

 東日本大震災と福島第一原発の事故の被災地にある国立大学として、福島大学は「うつくしまふくしま未来支援センター」を2011年4月に設置し、復旧、復興の支援を行なってきた。

 まず、2014年に学長に就任した中井勝己氏から、大学全体としての取り組みについて話をうかがった。その中で、「ふくしま未来学」という授業についての説明があった。これは復興の担い手となる若者を育成するためのプログラムで、特徴的なのは、「むらの大学」という地域実践学習を取り入れていることだ。

 


福島大学の中井勝己学長

 

「昨年(2014年)から行なっている『むらの大学』は、学生が南相馬市と川内村の被災地域で2週間の滞在型の実習を行なうものです。首町の話を聞いたり、地元で復興に携わっているキーパーソンの話を聞いたりもします。1年目の昨年は20名弱が履修し、今年は2倍以上の59名が履修しました。本学にある4つの学部のうち、どの学部の学生でも参加できます」(中井氏)

 会場には、「むらの大学」を履修している学生3名も出席していた。そのうち2人は県内の出身者で、1人は福島第一原発に近い広野町、1人は郡山市の出身。もう1人は長野県の出身だった。県外からも、復興に携わりたいと入学してくる学生が少なくないという。

 


「むらの大学」を履修している福島大学の学生たち(左から1人目、2人目、3人目の3名)

 

「震災以降、なんらかの形で復興に関わりたいという学生や、家族が被災生活をしている学生など、志の高い学生が入学してくるようになりました。私どもとしては、彼らの期待に応えられるようにしたいと思っています。また、原発事故からの学びを教育に活かし、地域とともに歩む人材を育成していきたいと考えています」(中井氏)

 ふくしま未来学のプログラムには座学もあり、藻谷氏も講師として招かれて授業を行なったことがある。

 続いて、うつくしまふくしま未来支援センター副センター長の小山良太氏から、同センターについての説明があった。

 


うつくしまふくしま未来支援センターの小山良太副センター長

 

「震災後、福島大学には、放射線を測定できないか、避難計画を立てるためのエビデンスをそろえられないか、仮設住宅の支援や防災に協力してもらえないかなど、いろいろな相談がありました。しかし、県内唯一の国立大学ではありますが、4学部しかなく、対応できないことがたくさんあった。そこで立ち上げたのが、うつくしまふくしま未来支援センターです。

 なぜ『支援センター』にしたのかというと、『研究所』や単に『センター』としてしまうと、研究者が『研究』を中心に活動してしまうかもしれないからです。大学の研究者として評価されるためには、研究成果を学会で発表したり、論文を国際的なジャーナルに載せたりすることが必要です。しかし、そんなことをしたところで、その研究成果が地域に還元されなければ意味がありません。そこで、『支援』という枠組みを明確にして、賛同していただける研究者を募ったのです。約20名が集まってくれて、特任として仕事をしてくれています」(小山氏)

 うつくしまふくしま未来支援センターには、「こども・若者支援部門」「地域復興支援部門」「農・環境復興支援部門」の3つの部門がある。小山氏は「農・環境復興支援部門」で食・農復興支援担当マネージャーも務めており、その活動についても話した。

「やったことの1つは、県北地域の約9万9,000枚の農地すべてで放射線測定をしてマッピングし、使える農地と使えない農地にゾーニングすることです。県北地域は、当初、原発から離れているので安全だと考えられていたのですが、実は原発に近い地域よりも放射能汚染がひどいところもあることが、あとになってわかりました。この混乱が、風評被害を大きくする一因となったのです。マッピングした結果は、説明会を行なって地域の農家の方々に伝えました」(小山氏)

 放射性物質がどれだけ飛来したかは、福島第一原発からの距離だけでなく、風向によって大きく影響を受けた。SPEEDIによる放射能汚染マップを見ると、福島県内でも会津地方はほとんど影響がない一方、遠く離れた栃木県や群馬県の北部には比較的多くの放射性物質が飛来したことがわかる。放射性物質は、当然のことながら福島県内か県外かなど関係なく、風に乗って飛散したのだ。小山氏によると、それより南の千葉県や埼玉県などについては、数値が公表されていないということだ。

「土壌から作物へどれだけの放射性物質が移行するかについても調査しました。その結果、たとえばキュウリなら、土壌に1,000ベクレル/kgの放射能があったとしても、0.1ベクレル/kg程度しか移行しない、といったことがわかりました。移行を抑えるためにはカリウムを施肥することが有効なのですが、その方法についても研究しました」(小山氏)

 こども・若者支援部門長の森知高氏には、「食べ物を通した子供の内部被曝について、教育現場ではどう扱われているのか」という質問が、ツアー参加者から出された。

 


うつくしまふくしま未来支援センター こども・若者支援部門長の森知高氏

 

「当初は、給食の安全性に疑問を持って、子供に給食を食べさせず、弁当を持たせる家もありました。すると、同じ教室の中に、給食を食べる子供と持参した弁当を食べる子供とがいることになって、問題が生じたことがあります。しかし、今では、検査をしっかりしていることを説明して、ほとんどの子供が給食を食べるようになりました」(森氏)

「実際に現場に入りこんで活動されている皆さんがおっしゃるから、親御さんも安心されるんでしょうね」と質問者はうなずいていた。

 地域復興支援部門の髙木亨氏には、浪江町長の馬場有氏に対して出されたのと同じく、「若い人たちは故郷に帰らないのでは?」という質問が出された。

 


うつくしまふくしま未来支援センター 地域復興支援部門の髙木亨氏(中央)

 

「2000年に火山が噴火して全村避難した三宅村では、4年半後に避難命令が解除されました。それで帰村したのは約6割の人たちで、当初は若い人は少なかったのですが、10年ほど経つと子育て世代の人たちも戻り始めるようになりました。『自分たちが戻らないと、村がなくなってしまう』という危機感が生じてきたからです。お祭りなどの地域行事が、若い人たちの帰村のきっかけになったこともわかっています。福島でも、放射能汚染の問題が解決すれば、同じようになるのではないでしょうか」(髙木氏)

 

〈3〉へ続く》

 

《写真撮影:まるやゆういち》

著者紹介

藻谷浩介(もたに・こうすけ)

〔株〕日本総合研究所主席研究員

1964年、山口県生まれ。日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)、米国コロンビア大学留学などを経て、現職。2000年頃より地域振興について研究・調査・講演を行なう。10年に刊行した『デフレの正体』(角川新書)がベストセラーとなる。13年に刊行した『里山資本主義』(NHK広島取材班との共著/角川新書)で新書大賞2014を受賞。14年、対話集『しなやかな日本列島のつくりかた』(新潮社)を刊行。

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