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睡眠1時間半バイト生活、プレス機で指を切断も…苦学のゾマホンさんに訪れた“突然の転機”

2021年02月10日 公開
2022年10月20日 更新

ゾマホン・ルフィン(IFE国際財団理事)

ゾマホン・ルフィン

テレビ番組『ここがヘンだよ日本人』(TBS)に出演して人気者となり、その後、母国・ベナン共和国の駐日大使も務めたゾマホン氏だが、来日直後は3つのアルバイトを掛け持ちしながら日本語学校に通う苦学生だった。そんなときに訪れた転機とは? 〈取材・構成:林 加愛〉

※本稿は、『THE21』2021年2月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「人生は甘くない」と教え込まれた子供時代

「人生は甘くない」

亡き父が常々言っていた教訓です。私の56年の人生を振り返ると、本当にその通り。でも、その厳しさの中でこそ、幸せが生まれるのだとも思うのです。

この教訓をくれた父は、私が15歳のときに他界しました。働き通しの生活で寿命を縮めた末の急死でした。

私の母国・ベナン共和国には階級があり、私の家は下のほう。大黒柱を失ったことで、経済的にみるみる厳しくなりました。そこで私は叔父の養子になりました。

叔父も私を養うのは大変だったと思います。自分の子供を優先するのは当然でしたし、私はその子たちより年上でしたから、家の手伝いは私が一手に引き受けました。

朝は4時半に起きて掃除。皆が起き出したら子供たちの世話。朝食を食べる間もなく10kmの道のりを歩いて学校へ。給食は出ないので昼食も食べず、水を飲むだけ。家に帰って、家族の残り物を夕食に食べて、また家事……。そんな生活です。

空腹と多忙の中、必死で取り組んだのが勉強でした。買い物の行列に並びながらでも勉強しました。

そうして高校へ進学し、さらにアルバイトで学費を稼いで大学に進みました。

 

苦しさに負けたら神様は何もしてくれない

大学卒業後は、中国に留学しました。ベナンと中国の間には国費留学の制度があったからです。

留学できるのは、試験の成績上位者3名のみ。私は、その3番目に入れました。「神様、ありがとう!」と思いましたね。

私のような環境で育った子は、たいてい途中で学校を辞めます。でも私は学ぶことを諦めなかった。苦しさに負けたら、その先、神様は何もしてくれない。負けないで踏ん張って初めて、神様は微笑んでくれるのです。

北京での暮らしは、一転して、天国のようでした。勉強をしながら、お金がもらえましたから。でも、相変わらず、アルバイトに精を出しました。

ルワンダ大使館で掃除の仕事が月給100ドルであったのですが、誰もやりたがる人がいませんでした。何しろ、北京の冬は氷点下の寒さですから。そこで、私が進んでやりました。

すると、ある日、屋外の掃除をしている私を大使が窓から見て、運転手に配置換えしてくれました。外交官の子供たちを学校に送迎する仕事です。月給は300ドルにアップ。しかもクルマは暖房つきです。

しばらくすると、また別の仕事を任されました。中国の雑誌や新聞を、大使館のスタッフのために英語やフランス語に翻訳する仕事です。今度はなんと、月給1200ドル。立派な椅子に座って、直通電話まである好待遇です。

こうなると、ルワンダ人の学生たちが黙っていません。「ルワンダ人じゃないのに、何であいつが」と言い出しました。すると大使は、「彼は他の人が嫌がる仕事を喜んでした。だから信用できるんだ」と、ピシャリと不満を封じてくれました。

人間、信用が大事だということです。信用は通貨と同じです。誠実であればきちんと貯まり、大きくなって戻ってきます。

他の人が苦労と感じることを苦もなくできるようにしてくれた、子供時代の困難な暮らしに感謝です。

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