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81プロデュース「声優を発掘・育成し、その活躍の場を作る。その繰り返しです」



2021年04月07日 公開

【経営トップに聞く 第46回】南沢道義(81プロデュース社長)

81プロデュース

アニメや外国映画、ナレーションのみならず、音楽や舞台をはじめ、活躍の場をどんどん広げている声優という仕事。声優を目指す人も多くなった。こうした声優業界の盛り上がりを牽引してきた1人が、今年で創業40周年を迎えた声優事務所・〔株〕81プロデュースの創業社長である南沢道義氏だ。創業の経緯やこれまでの歩みについて聞いた。

「声優は表に出るものではない」……。業界の閉塞感から独立へ

――御社は1981年の創業で、今年で40周年を迎えました。社名は創業の年からつけた?

【南沢】そうです。当時はまだ声優業界が小さくて、声優の人数も事務所の数も少なかったですね。仕事の幅も今ほど広くなく、アニメーションと外国映画が仕事の中心でした。

 制作されるアニメーションやラジオドラマの本数はそれほど多くありませんでしたが、増えてくる片鱗が見え始めていた時期でした。紙から映像や音声へと媒体の主流が変わってきていましたし、いわゆる名作だけでなく、『機動戦士ガンダム』や『宇宙戦艦ヤマト』、『銀河鉄道999』をはじめとするSFもアニメーションのジャンルとして確立されてきていました。女子向けのアニメーションも増えていました。その中から、スター声優が現れてきていた時期です。

――声優事務所にも様々あると思いますが、御社の特徴は何でしょうか?

【南沢】声優のマネジメントをするだけではなく、声優が働く場、出演する場を作っていこうという動機で会社を設立したのが特徴かと思います。モノ作りをして、そこにキャストが参加する、ということを当初から前提にしていました。私自身、番組やイベント、ステージなどを作ることが好きでしたから。

 北米などの英語圏で当社を紹介していただく機会も増えましたが、すると、「81プロデュース」ではなくて「81プロダクション」ではないんですか、と聞かれることがあります。英語ではそれが正しいのかもしれませんが、日本語だと「プロダクション」はマネジメントをする事務所のイメージがあります。当社は、マネジメントだけでなく、プロデュースをしていく、という意味でつけた社名です。

――もともと声優業界にいたということですが、起業した理由は?

【南沢】勤めていた会社でノウハウを学んでから同業で独立するというのは、当時も褒められるようなことではなかったのですが、自分の中で追い詰められたところがあって独立したというのが実際のところです。決して薔薇色の船出というわけではありませんでした。

――追い詰められた?

【南沢】閉塞感を味わったというか、マネジメントに不自由を感じたというか……。「声優」と呼ばれることに抵抗を感じる先輩方が数多くいた時代ですから。声優は裏方であって、表に出るものではないという考え方が根強かったんです。

『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』で大変なアニメーションブームが起きていて、声優の仕事の中でもアニメーションが大きな比重を占めるようになっていました。その中でスター声優と呼ばれる若いキャストも育ってきたのですが、それに対して業界の先輩方は良い顔をしませんでした。

――南沢社長は、声優を表に出すマネジメントをしていた?

【南沢】そうです。あの頃の時代(1970年代)は、僕くらいしかいなかったかもしれませんね。

 当時、各レコード会社は学芸レーベルと一般レーベルを持っていました。学芸レーベルというのは、幼児向けの音楽のレーベルです。値段も一般レーベルより安かった。声優は、一般レーベルではなく、学芸レーベルに所属して、童謡やアニメソングなどを歌っていました。人気が出てオリジナル楽曲を歌っても、なぜか学芸レーベルでした。

 あるとき、一般レーベルからメジャーデビューをしましょうと、別のレコード会社から企画の相談がありました。それで、水島裕、中尾隆聖、井上和彦、富山敬といった声優の方々のレコードを出し、メジャーデビューをしました。これは一部の諸先輩方からひどく叩かれました。「声優がレコードを出してタレントごっこをするとはどういうことだ!」と言うんです。学芸レーベルのときは、特に何も言われなかったんですけど。

――それで、自由にマネジメントをするために独立した?

【南沢】これ以外にも、様々な不自由なことが、日々のマネジメントの中で出てきました。方向性が違うと、どうしても出てきますよね。

 当時は、私も、水島さんも、中尾さんも、皆、20代でしたから、不自由は感じながらも、業界で初めてのことをやるのは楽しかった。番組や音楽を作るだけでなく、当時、声優はほとんど出演していなかった舞台にも活動の場を広げました。

 青井陽治さん、坂上道之助さん、宮本亜門さん、宮川彬良さんをはじめ、大勢の演出家、音楽家、脚本家などの舞台関係者と巡り合うことができ、銀座の博品館劇場などで、たくさんのオリジナルミュージカルやニール・サイモンの有名戯曲とかの舞台制作プロデュースをしました。私は舞台や芝居のプロではなかったのですが、この経験を通して、芝居の大切さや奥深さに目覚めさせられました。

 しかし、会社側から見れば、舞台は儲からないし、声優のスケジュールが無茶苦茶になるから、やめてほしいんです。けれども、私たちは劇団のようにスタッフ、キャストが一枚岩になって、舞台を作り続けました。しばらくすると色々と調整がつかなくなってきました。

 伝説化されたイベントもいくつも担当しました。例えば、フェリーの「さんふらわあ」に砲台をつけて「ヤマト号」にして、『宇宙戦艦ヤマト』のファンと西崎義展プロデューサー、古代進役の富山敬さん、島大介役の仲村秀生さん、ザバイバル役の富田耕生さんなどの声優が乗り合わせるというイベントもやりました。東京湾から宮崎県まで、ひと晩かけて行く間に、西崎さんが『オールナイトニッポン』の生放送に出演したり、声優たちがラジオドラマを演じたり、ドクロマークをつけた帆船とすれ違って空砲を撃ち合ったりするんです。ほろ酔いで「波動砲発射!!」。富山敬さんのセリフは今でも鮮やかに記憶に残っています。本当に面白かったイベントの一つです。

『銀河鉄道999』の劇場版の公開に合わせて、上野駅から烏山駅(栃木県)まで「銀河鉄道999号」を走らせるイベントもやりました。今思うと滑稽なくらいアナログで、「宇宙食」はおにぎりで、車窓に映る景色は東北本線の風景でした。必死に面白がってやっていました。

 初めて大きなイベントのプロデューサーをやったのも、その頃です。日劇ウエスタンカーニバルという、長く日劇で開催されていた音楽フェスティバルの人気に陰りが出てきていたようで、この頃人気が上がっている声優で日劇でのイベントができないかと、東宝から話があったんです。それが、第1回声優フェスティバルです。その会場で、ファンからのものすごい熱気を感じました。

 ファンの女の子たちが出待ちをしていて、日劇の楽屋からベテラン声優が出てくると、キャーキャーと、「サインください」と言ったり、肩に触れたりするんです。その中に、「声優さんに触っちゃった! 今の誰だろ?」と言った子がいたのを、今でも覚えています(笑)。個人で人気のある声優は、当時は10人もいなかったんじゃないですかね。

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